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ミックスドマーシャルアーツ(MMA)という格闘スポーツについて、コラムや試合レビューを書いています。

【粕谷戦中止】もう一人のボスニア難民戦士。ダミル・ハーゾヴィッチの「拳の火薬庫」!【未完成】

 

014年から、UFCはアジア戦略の一環として中東系ファイターの契約に注力しています。

「イラン国のアッシリア人ベニエル・ダリウシュイスラエル国ユダヤ人」ノアド・ラハツフィンランド国のクルド人マクワン・アミルカニ…。彼らはみな「国の誇り」とは別に「民族の誇り」を併せ持つファイター達であり、UFCはそんな彼らのルーツを明確に推し出すプロモートをして来ました。「民族」が決して「国」として分割されていない中東の歴史に沿ったこのプロモーションは、非常にスマートかつ熱い戦略だな~、と感じています。

 

そんななか、ボスニア国のムスリム人」としてプロモートされて来たのが、ミルサド・ベクティッチです。彼はボスニア内戦(1992 - 1995)で両親を失ったボスニア難民であり、アメリカに移住しながらも祖国と民族に誇りを持っています。彼の雄姿は、彼の卓越したプレッシャーとレスリングスキルと共に多くの支持を集め、注目されているといえます。

 

そんなUFCには現在、ベクティッチとは別にもう一人のボスニア難民ファイターがいます。

彼の名はダミル・ハーゾヴィッチ。ベクティッチと同じく内戦を生き残り、現在はデンマークに移住しているハードストライカーです。

 

ダミル・ハーゾヴィッチ(Damir Hadžović)

ミドルネーム:ザ・ボスニアン・ボマー(The Bosnian Bomber)

生年月日:1986年8月8日(現30歳)

出身:ボスニア・ヘルツェコビナ(ゴラジュデ)

在住:デンマークコペンハーゲン

所属:ランブル・スポーツ(Rumble Sports、デンマーク

戦闘スタイル:ハードストライカ(オーソドックス)

主な格闘術:キックボクシング、柔術(青帯)

得意技:右ストレート、ミドルキック、膝蹴り

入場曲:「サンドストーム」(Sandstorm) by ダルード(Darude)

 

ーゾヴィッチはベクティッチと同じボスニア国のムスリム人」であり、イスラム教徒でもあります。

 

ハーゾヴィッチが6歳のとき、彼の故郷であるゴラジュデは内戦の炎に見舞われました。セルビア人による虐殺の火中にいたハーゾヴィッチは、6歳ながらも当時の記憶を覚えているといいます。武装したセルビア人に悟られないよう、家の中で必死に息を殺し続けていたことを。

 

幸いにもハーゾヴィッチは家族ともに亡命を果たすことができ、様々な国を渡った後にデンマークエスビャウへと移住しました。エスビャウで工場勤務と週末のアイリッシュパブでの用心棒で生計を立てつつ、ボディービルダーとしてトレーニングを続けていたハーゾヴィッチは、そこでUFCと初めて出会いました。二人の男が金網で闘う姿に、ハーゾヴィッチは衝撃を受けたといいます。

 

ハーゾヴィッチがジムでMMAを体験した初めての相手は彼より小柄な男でしたが、彼のパワーと技術によってハーゾヴィッチは関節技を極められ、完敗を喫しました。これがハーゾヴィッチがMMAに入門するきっかけとなりました。

 

2009年に、ハーゾヴィッチはMMAウェルター契約でプロデビューを果たします。

 

ハーゾヴィッチは相手の連打の火中に飛び込み、ワンツーからのミドルキックで動きを止めると一気にテイクダウン。マウントを取ってパウンド&垂直肘を落とし続けてレフェリーストップで勝利しました。この勝利からハーゾヴィッチは一気に無敗の4連勝を飾りました。

 

連勝が止まったのは5戦目となったアンドレアス・ストール戦でした。クシシュトフ・ヨッコ戦でも星を落として一気に2連敗となってしまったハーゾヴィッチは、2013年エスビャウのチームを解散してコペンハーゲンへ移住し、デンマーク最大のMMAチームであるランブル・スポーツへ移籍することになります。

 

ヘッドコーチであるトゥー・K・トゥルンカ(Tue K. Trnka)は、ハーゾヴィッチのスポンサーになると共に彼により深いMMAの技術と精神性を伝授し、移籍後にハーゾヴィッチは破竹の6連勝UFC契約へ辿り着きました。体格差に苦しんでいたハーゾヴィッチがMMAライト級へ階級転向したのも、ランブル・スポーツの移籍後のことです。ハーゾヴィッチは柔術コーチのアルナル・フレイフ・ヴィグフーソンArnar Freyr Vigfússon)や、親友でありトレーニングパートナーであるUFCファイターのニコラス・ダルビー(Nicolas Dalby)のいる現在のチームに満足しており、今後も両親を呼びコペンハーゲンに住み続けたいと語っています。

 

交流関係は他にもメス・カストゥンスン(Mads Kristensen, 友人のタトゥーアーティスト)やカスチャン・フォン・ホーンスレット( Kristian Von Hornsleth, 友人のアーティスト)等もいるそうです。

 

ハーゾヴィッチがその格を大いに上げた一戦が、2014年3月22日に開催されたCWFC 66」デンマーク大会でのライト級契約、ジョン・マグワイア戦です。この試合は元々ジョンの弟トミー・マグワイアとの対戦予定が、トミーの負傷により対戦相手がジョンに変更した試合でした。

(↑大会ダイジェスト映像。件の試合は1分20秒ほどからです)

代役とはいえ、UFC経験者でもあるジョンが圧倒的に優勢と思われた試合でした。

しかし、ハーゾヴィッチは1Rから持ち前のハードな打撃でジョンにプレッシャーを与え続け、ジョンの得意の関節技も確実に凌ぎます。1R終盤に得意の右ストレートを連続ヒットさせると、寝技に持ち込もうとしてジョンが頭を下げた所にストレートニーをカウンターヒットさせチェック、一気に膝蹴り連打でダウン&パウンドTKO勝利を挙げました。

 

地元デンマークで衝撃的な勝利を挙げたハーゾヴィッチは、以後CWFC代表グラハム・ボイランのバックアップのもとメジャーシーンへの階段を上がっていくことになるのでした。

 

UFC初戦となった2016年4月10日「UFN 86」クロアチア大会では、マイルベク・タイスモフに1RKO負けを喫してしまったハーゾヴィッチ。しかし、そのアグレッシブな姿勢が評価され9月10日「UFC 203」クリーブランド大会にて日本の粕谷優介(かすや ゆうすけ)との復帰戦が組まれました。しかし、この時はハーゾヴィッチのビザ問題で試合が延期となりました。一カ月後の10月15日「UFN 97」フィリピン大会へ延期されたものの、今度は大会自体が開催中止となり、またも試合は延期。

…そして粕谷の対戦相手はアレックス・ヴォルカノフスキーに変更となり、ハーゾヴィッチvs.粕谷の対戦は事実上消滅してしまう事になりました。

 

本来は色々と対戦予想を考えて書いていたのですが、対戦が流れ「答え合わせ」が出来なくなった以上、今回はここで一旦終了することにしました。ハーゾヴィッチと粕谷の線が再び交差した時があれば、更新しようと思います。

 

なんとも締まりのない記事になってしまいましたが(笑)試合予想に「宙ぶらりん」はつきものなので、気を取り直して粕谷vs.ヴォルカノフスキーを、そしてハーゾヴィッチの「拳の火薬庫」が火を噴く日を待ちたいと思います!!

 

余談ですが、ハーゾヴィッチも「サンドストーム勢」(入場曲に「Sandstorm」を使う人たち)です。MMAの入場曲としては非常に有名で様々な選手が使用していますが、ハーゾヴィッチはCWFC時代から一貫してこの曲であり続けているので好感が持てますね~!

 

しかし、やっぱ中途半端だなぁ。試合観たかったな~泣泣