MMAの「紀元前」こと20世紀、VTからMMAへと移り変る過渡期に存在していた「古典」と呼べる格闘団体たちを紹介するコーナーです。
第1回 ブラジルの純正ヴァーリトゥード「IVC」
第2回 環太平洋MMAフィーダーショー「Icon Sport / Super Brawl」前編
今回は第二回の後編、2000年以降の後期「Icon Sport / Super Brawl」を紹介します!
Icon Sport(アイコン・スポート)またはSuper Brawl(スーパー・ブロウル)は、現在のトップ選手たちの飛躍を支えた環太平洋のMMAフィーダーショーでした。
Icon Sportは他団体と積極的に交流し、2000年初期には修斗やExtreme Challengeと提携して質の高い大会を開催していきました。
「Super Brawl 17」は修斗と提携した中でも特に印象的な大会でした。
「Night of Champions(王者たちの夜)」と銘打たれた本大会は、エリック・パーソンvs.ロナルド・ジューンという「修斗 × Icon Sport」の好カードが組まれました。
後にUFCウェルター級王者として歴史を築くマット・ヒューズや、カナダMMAの雄アイヴァン・サラヴェリーもこの大会に出場していました。
この大会で一際大きな声援を受けた佐藤留美奈(佐藤ルミナ)は、Icon Sportと同じく修斗と提携していた「Hook n Shoot(フック・エン・シュート)」の代表イヴ・エドワーズと対戦しました。佐藤は朽木倒し(ニータップ)からエドワーズを捕獲すると、裸絞めで鮮やかな秒殺一本勝利を挙げました。
佐藤は勝利後のインタビューで「This is Shooto style. This is Shooto!(これが修斗のスタイル)」と宣言し、Icon sportと修斗の提携を象徴する名シーンとなりました。
修斗ライトヘビー級(現ミドル級)王者の須田匡昇は、「Super Brawl 29」でIcon Sportミドル級王者イーゲン井上との「修斗× Icon Sport」ダブル王座戦に挑みました。
須田は井上にパウンド連打で秒殺KO勝ちし、修斗とIcon Sportの二冠王の称号を得ました。
須田は「Super Brawl 32」でもシャノン・リッチに三角絞めを極めてIcon Sportミドル級王座を防衛し、両団体でベルトを獲得&防衛した唯一人の選手となりました。
「Super Brawl 24」はExtreme Challengeと共催した大会で、Icon Sportの歴史上でも大規模な「ヘビー級の祭典」でした。
「Return of the Heavyweight(ヘビー級の帰還)」という副題の通り、この大会は「Super Brawl 13」以来の新鋭を集めたヘビー級トーナメントをメインにしていました。
優勝賞金2万ドルを懸けたトーナメントは二日連続で開催され、一日目に初戦を、二日目に準々決勝~決勝戦を行うハードなものでした。
Icon Sportの代表選手ウェズリー・コレイラを筆頭に、その後MMAヘビー級で活躍するトラヴィス・ビュー、ベン・ロスウェル、ジェイソン・ランバート等の選手がこのトーナメントに参加しました。
この大規模トーナメントを圧倒的なパフォーマンスで優勝したのが、当時の先進的MMAスタイルであるミレティッチ式戦闘術を備えたティム・シルヴィアでした。
シルヴィアはトーナメント優勝後にUFCへ参戦し、わずか二戦で王者リコ・ロドリゲスを打ち破りUFCヘビー級王座を獲得するのでした。
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修斗やExtreme Challengeとの提携を経て、Icon SportはMMA統一ルールの階級で王座戦をメインに活動を続けていきます。大会名が「Super Brawl」から「Icon Sport」へ変更されたもこの頃です。
一方で試合は肘打ち禁止&頭部への蹴り解禁のルールで行われるという、UFCとPrideを混ぜ合わせたシステムの団体になっていきました。
この時代もKJ・ヌーンズやタイソン・ナムといった多くの選手がIcon Sportで試合を経験しています。
日本では「ブラック・マンバ」のニックネームで知られるカルター・ギルも、「Super Brawl 39」でハリス・サルミエントとの熱戦を制してIcon Sportライト級王座を手にしています。
しかし、最も激戦区だったのはIcon Sportミドル級です。
ファラニコ・ヴィターレ、ジェイソン・ミラー、ロビー・ローラー…Icon Sportミドル級は優れた選手たちが王座を競い合った群雄割拠の階級でした。
「ニコ」ことファラニコ・ヴィターレは「Super Brawl 39」で須田の持つIcon Sportミドル級王座に挑戦し、ジャンプからのスーパーマンパンチでKO勝ちして王座を獲得しました。
ハワイ出身のヴィターレはIcon Sportの人気選手で、四つ組みとパンチ連打から鮮やかな一本勝ちを魅せてきました。「Super Brawl 23」でジェイソン・ドレクセルを立ち技からキムラロックに捉えて一本勝ちした試合などは、ヴィターレの魅力が詰まった一戦です。
ヴィターレはジェイソン・ミラーやロビー・ローラーとの頂上決戦に敗れていますが、後に強豪として知られる二人と一進一退の攻防を繰り広げた実力者でした。
ミラーを裸絞めで一本勝ち寸前に追い込み(ミラーはゴングに救われました)、ローラーをパンチで追い込み、スラムで抱えて投げ飛ばす等、地元の英雄ヴィターレの熱闘があったからこそIcon Sportミドル級戦線は輝いたと思います。
ジェイソン・ミラーは「Super Brawl 32」でイーゲン井上に競り勝ち、その高い実力を証明しました。
奇抜な入場パフォーマー&トリッキーな試合巧者として人気を博したミラーは、「Icon Sport 42 Opposites Attract」でヴィターレと対戦、先述のピンチから見事に大逆転一本勝ちを収めます。
そして「Icon sport 45 Mayhem Vs. Lawler」ではヴィターレをKOで粉砕した王者ロビー・ローラーに挑戦。ミラーはローラーの強烈なサッカーキックやパンチの連打を耐えてローキックで攻め、消耗戦に競り勝ち肩固めで劇的な一本勝ち&王座戴冠を果たしました。
ミラーは「Icon Sport 46 Mayhem vs. Trigg」でフランク・トリッグのサッカーキック連打の前に王座陥落しますが、勝っても負けても熱戦を繰り広げたミラーはIcon Sportのエース格でした。
ロビー・ローラーは「Icon Sport 48 Epic」で、新王者トリッグとの王座を懸けた一戦に挑みました。
ローラーは「肉を切らせて骨を断つ」激しい打撃戦が得意ですが、Icon Sportでのローラーもその真骨頂となる試合を見せています。
肉薄した打撃戦から徐々にコーナーへ追い詰め、外側から振り抜くルーピングフックの連打でトリッグの顔面を打ち抜いたローラーは、衝撃KO勝ちとともに王座返り咲きを果たしました。
激戦区のIcon Sportミドル級で二度の栄光に輝いたローラーは、その後StrikeForceやUFCで数々の名勝負を繰り広げることになります。
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2007年、Icon Sportは「Elite XC(エリート・エクストリーム・コンバット)」に吸収される形で活動を終了。
ハワイMMAのパイオニアは、10年間に渡る長い歴史に幕を下ろしました。
現在、ハワイMMAはハワイ州ボクシング運動委員会がMMA統一ルールを採用し、更なる成長と発展を遂げています。
2006年から続く「X-1 World Events(エックスワン・ワールド・イベンツ)」では、マックス・ホロウェイやレイ・クーパーⅢ世といった世界クラスの選手の才能が開花しました。
ハワイ出身のイリマレイ・マクファーレンは、二年連続でBellator MMAハワイ大会の主役として凱旋しました。
ジーザス・イズ・ロードの長ロバート・オストヴィッチが創設した「Trinity Kings(トリニティ・キングス)」も、近年になってUFCファイトパスで配信されました。
Icon Sportは活動を終了しましたが、そのMMAへの先見の明と発展への貢献は揺るぎないものがあります。
そんなMMA黎明期を支えたIcon Sportを、UFCファイトパスでぜひ覗いてみて欲しいです!🏝️