今回は「MMA前史」シリーズの第2弾!
グローブ空手(キックボクシング)組織『K-1』において行われた「総合格闘」ルールの試合について紹介してみます。
第1弾はこんな感じです↓
正道会館空手は1991年から『RINGS』出場を経て、1993年に『K-1』を初開催。
その活動経緯も相まって、『K-1』大会内では数々の総合格闘ルールの試合が行われてきました。
同年1993年末からヴァーリトゥードが世界中に伝播し、2001年にMMAがネバダ州運動委員会で可決されるまでの「MMA激動の時代」のなかで、『RINGS』や『PRIDE』と協力関係を築いた『K-1』もまた、MMA組織『HERO'S』を創立しました。
今回は『K-1』大会のなかで「特別試合」として行われた試合に限定した一覧となっています。(その為、他のプロモーションが主催した大会やMMA部門の大会は割愛しています。)
もうすぐ創立30周年を迎える『K-1』、その歴史の中から「アルティメットファイト」の一頁を紹介してみます!✨🥊🥋✨
- <1992年~2000年 K-1黎明期における総合格闘&ヴァーリトゥード戦>
- <2001年~2003年 『K-1』 vs. 『PRIDE』 K-1選手のMMA挑戦の始まり>
- <2004年~2007年 『K-1』MMA部門の創立~『HERO'S』体制へ>
- おわりに
各試合の「総合格闘ルール」については、以下の4色でカテゴリー分けしています。
シュートレスリング形式の総合格闘ルール(頭部打撃:掌底 ロープエスケープ有り)
立ち技、組み技に限定条件のある特殊ルール(時間制限、ミックスルール等)
頭部へのパンチ&パウンドが許可されたヴァーリトゥード&総合格闘ルール
ニュージャージ州運動委員会により採用された「MMA統一ルール」
<1992年~2000年 K-1黎明期における総合格闘&ヴァーリトゥード戦>
1992年3月26日 東京体育館
『硬派er '92 格闘技オリンピックⅠ』
<RINGSルール 3分×5ラウンド>
〇平直行 vs. エリック・エドレンボス× (SUB キムラロック)
<RINGSルール 3分×5ラウンド>
〇ヘルマン・レンティン vs. 西良典× (判定)
<総合格闘技特別ルール 3分×4ラウンド>
〇市原海樹 vs. ピーター・スミット× (TKO 右ローキックによる棄権)
1992年3月26日、正道会館が主催した『格闘技オリンピック』第1大会が開催。
本大会ではフルコンタクト空手やキックボクシング選手の他に、シュートボクシングの平直行、慧舟会の創立者である西良典、そして大道塾空手の市原海樹といった3名の日本人選手が出場。
3名はそれぞれ1991年末から正道会館と提携していた『RINGS』所属のオランダ人選手ヘルマン・レンティンとエリック・エドレンボス、前WKAキックボクシング世界王者ピーター・スミットと総合格闘ルールの試合で対戦した。
市原vs.スミット戦は1&3ラウンドが「RINGSルール*1」、2&4ラウンドが「キックグローブルール*2」で行われる特殊ルールで行われた。
1992年7月30日 国立代々木競技場 第2体育館
『闘志天昇 格闘技オリンピックⅡ』
<カラテ・フルコンタクト特別ルール 3分×3ラウンド>
△西良典 vs. グレッグ・ダグラス△ (引き分け 試合時間終了)
1993年3月30日 後楽園ホール
『聖戦 SANCTUARY Ⅰ』
<総合格闘技実験ルール 15分×1ラウンド>
<総合格闘技実験ルール 15分×1ラウンド>
1992年10月4日、『格闘技オリンピック』第3大会を開催した正道会館は、大会内にて『10万$争奪最強決定トーナメント』の開催を発表。
その後、同大会の正式名所が『K-1 GRAND PRIX』に決定。『K-1』という名称は1993年1月31日の『第2回トーワ杯カラテトーナメント』において「グローブ空手(頭部への打撃が許可されたフルコンタクト空手)」を旨とする新空手道連盟が提唱したもので、正道会館が新空手道連盟に倣う形で大会名が採用された。
『K-1 GRAND PRIX』第1大会の前哨戦となった『聖戦 SANCTUARY Ⅰ』では、『格闘技オリンピック』や『RINGS』に出場していた平、西の2名と、正道会館の臼田、角田の2名による総合格闘ルールの試合が行われた。
1993年4月30日 国立代々木競技場 第1体育館
『K-1 GRAND PRIX 1993』
<エキシビションマッチ 総合格闘技ルール 5分×1ラウンド>
1993年4月、『K-1 GRAND PRIX』第1大会が開催された。
本大会でも平が正道会館の内田との総合格闘ルールの試合を行っている。
平は以降の『K-1』でもグローブ空手(キックボクシング)ルールの大会に混ざり、特別試合として総合格闘ルールの試合を行い続けた。
1993年6月25日 大阪府立体育会館
『聖戦 SANCTUARY Ⅲ ~風林火山 ”風の章”~』
<総合格闘技ルール 10分×1ラウンド>
〇平直行 vs. 玉城厚志× (SUB 3エスケープ/小外掛、肩固め、アームバー)
1994年4月30日 国立代々木競技場 第1体育館
『K-1 GRAND PRIX 1994』
『K-1 GRAND PRIX』第2大会で行われた平vs.山崎のエキシビション戦は、ボクシンググローブを着用し、ロープエスケープ有りの寝技が許可される特殊ルールで行われた。
1994年12月10日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
『K-1 LEGEND ~乱~』
<特別試合 アルティメットルール 時間無制限>
〇キモ・レオポルド vs. パトリック・スミス× (TKO 頭突き&パウンドの連打)
1994年12月、『K-1』においてはじめてのヴァーリトゥード(アルティメットルール)の試合が行われた。
「アルティメットルール」ではアイポーク(目突き)と噛み付きが禁止され、頭突きと金的攻撃は許可された。
この試合では、リングの内側に四角形ケージが置かれる特設の試合場が設けられた。
1995年9月3日 横浜アリーナ
『K-1 REVENGE Ⅱ ~カラテの逆襲~』
<スペシャルマッチ ブラジリアン・ヴァーリトゥード・ルール 時間無制限>
<RINGSルール 30分×1ラウンド>
〇本間聡 vs. 成瀬昌由× (TKO 右肘を負傷 2エスケープ/内ヒールフック、裸絞め)
平が自身初のヴァーリトゥードの試合に臨み、『VTJ』第1大会に出場したロムルダーと対戦。
正道会館と提携中の『RINGS』選手である本間vs.成瀬の再戦も本大会で行われた。
1995年12月9日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
『K-1 HERCULES 1995』
<アルティメット特別ルール 20分×1ラウンド>
〇田村潔司 vs. パトリック・スミス× (SUB 外ヒールフック)
<アルティメット特別ルール 20分×1ラウンド>
本大会ではヴァーリトゥード(アルティメットルール)の2試合が特別試合として行われた。
『UWF International』所属の田村が自身初のヴァーリトゥードの試合に臨み、『UFC』第1大会出場のスミスと対戦。
『RINGS』所属の本間が自身初のヴァーリトゥードの試合に臨み、『VTJ』第2大会出場のローゼと対戦。
1998年10月28日 国立代々木競技場 第2体育館
『K-1 JAPAN 1998 ~神風~』
<エキシビションマッチ ヴァーリトゥード・ルール 5分×1ラウンド>
△"アレクサンダー"大塚崇 vs. 平直行△ (時間終了)
2000年12月10日 東京ドーム
『K-1 WORLD GRAND PRIX 2000』
〇フランク・シャムロック vs. エルヴィス・シノシック× (判定3-0)
『UFC』ライトヘビー級初代王者フランク・シャムロックが『K-1』と契約。
シャムロックは2000年8月11日『K-1 WORLD GRAND PRIX』アメリカ大会においてK-1ルールの試合を行った後、『K-1 WORLD GRAND PRIX』日本大会でMMAルールの特別試合を行った。
シャムロックはこの試合をもって『K-1』を離れ、後に『WEC』と『Strikeforce』両プロモーションの王座を獲得した。
<2001年~2003年 『K-1』 vs. 『PRIDE』 K-1選手のMMA挑戦の始まり>
2001年8月19日 さいたまスーパーアリーナ
『K-1 ANDY MEMORIAL 2001 第2部 ~K-1 vs. 猪木軍~』
<K-1 vs. 猪木軍ルール 3分×3ラウンド>
〇ミルコ・"クロコップ"・フィリポヴィッチ vs. 藤田和之× (TKO 膝蹴りによるカット)
<K-1 vs. 猪木軍ルール 3分×3ラウンド>
〇ゲーリー・グッドリッジ vs. ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ× (SUB アームバー)
<K-1 vs. 猪木軍ルール 3分×3ラウンド>
〇レネ・ローゼ vs. 安田忠夫× (KO 左へッドキック)
2001年8月19日、『K-1 GP』第4大会優勝者アンディ・ハーク(アンディ・フグ)の追悼大会が2部構成で開催。
第1部では『K-1 JAPANトーナメント』が開催され、第2部では猪木寛至と協力関係にあった『PRIDE』と共催、『K-1 vs. 猪木軍』として総合格闘ルールの3試合が行われた。
ミルコ・フィリポヴィッチ vs. 藤田和之戦において『K-1』選手のフィリポヴィッチがTKO勝ち。この結果は『K-1』が『PRIDE』および猪木事務所と協力関係を強め、多くの『K-1』選手が総合格闘ルールの試合に臨むことに繋がった。
2001年12月31日 さいたまスーパーアリーナ
『INOKI BOM-BA-YE 2001 ~猪木軍 vs. K-1最強軍~』
『K-1』が『PRIDE(猪木事務所)』と二回目の共催大会を開催。
本大会では『K-1』と『PRIDE(猪木事務所)』が7名ずつ選手を選抜、総合格闘ルールで対抗戦形式の試合を行った。
『K-1』選抜選手はマイク・ベルナルドやジェロム・ル・バネー(ジェロム・レ・バンナ)など7名中5名が総合格闘ルール未経験であり、本大会において初めて総合格闘ルールの試合に臨んだ。
『PRIDE』選抜選手は藤田和之の負傷欠場により、『新日本プロレスリング』所属の永田裕志が自身初の総合格闘ルールの試合に臨んだ。
2002年8月28日 国立霞ヶ丘競技場
『Dynamite ! 2002 ~Summer Night Fever in 国立~』
『K-1』が『PRIDE(猪木事務所)』と三回目の共催大会を開催。
総合格闘ルールの試合に『K-1』選手が、K-1ルールの試合に『PRIDE(猪木事務所)』選手がそれぞれ出場する大会となった。
『K-1』『PRIDE』両大会に出場していたボブ・サップが『PRIDE』ヘビー級初代王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとPRIDEルールで試合を行った。
2002年12月31日
『INOKI BOM-BA-YE 2002 ~猪木軍 vs. K-1最強軍 vs. PRIDE~』
『K-1』が『PRIDE(猪木事務所)』と四回目の共催大会を開催。
本大会を以て『K-1』と『PRIDE』、猪木事務所との協力関係が終了。
2003年9月21日 横浜アリーナ
『K-1 SURVIVAL 2003 ~JAPAN GP 決勝戦~』
〇ボブ・サップ vs. ステファン・ガムリン× (SUB ギロチンチョーク)
〇レネ・ローゼ vs. アイヴァン・サラヴェリー× (TKO 右手の負傷)
『K-1』内で特別試合として総合格闘ルールの試合が二試合行われた。
本大会を以て『K-1』初代運営組織『ケイ・ワン』体制が終了。
2003年10月11月『K-1 WORLD GRAND PRIX 2003 開幕戦 ALL STARS』より、第二代運営組織『FEG(ファイティング・エンターテインメント・グループ)』体制が開始。
2003年12月31日 ナゴヤドーム
『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 人類史上最強王決定戦』
2003年12月31日、『K-1』運営が単独による『Dynamite!!』第1大会を開催。
本大会では5つの総合格闘ルールの試合が行われた。
5試合のうち4試合は「重量級の海外選手」と「日本選手」との対戦という、無差別級の試合が中心となった大会。
須藤元気は『UFC』への参戦と並行して2002年2月11日および10月11日に『K-1 WORLD MAX』でK-1ルールの試合に臨み、本大会ではエリック・"バタービーン"・アッシュと総合格闘ルールで対戦。
『K-1』選手のアレクセイ・イグナショフが自身初の総合格闘ルールの試合に臨み、『新日本プロレスリング』選手の中邑真輔と対戦。
『新日本プロレスリング』所属で元『RINGS』選手の成瀬昌由がヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦。
フリースタイルレスリングの五輪候補者、中尾芳広が自身初の総合格闘ルールの試合に臨み、ダヴィド・ハハレイシヴィリと対戦。
<2004年~2007年 『K-1』MMA部門の創立~『HERO'S』体制へ>
2004年3月14日 朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター
『K-1 JAPAN BEAST 2004 ~新潟初上陸~』
〇ボブ・サップ vs. ドルゴルスレン・スミヤバザル× (TKO 脚の負傷)
〇アレクセイ・イグナショフ vs. スティーヴ・ウィリアムズ× (TKO 膝蹴り)
〇サム・グレコ vs. ステファン・ガムリン× (SUB 裸絞め)
〇リョート・マチダ vs. マイケル・マクドナルド×
〇アイヴァン・サラヴェリー vs. ハリウニー・ボルドバータル× (判定3-0)
本大会はボブ・サップを主役に据えて2003年4月6日に開催された『K-1 JAPAN BEAST』シリーズの第2大会として開催。
MMAルールとK-1ルールの試合が5試合ずつ行われ、メインイベントはボブ・サップがドルゴルスレン・ダグワドルジ(朝青龍)の実兄で自身初のMMAルール試合に臨むドルゴルスレン・スミヤバザルと対戦した。
2004年4月7日 国立代々木競技場 第1体育館
『K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~』
<K-1 MMA/総合格闘技ルール K-1ミドル級 5分×3ラウンド>
〇山本"キッド"徳郁 vs. トニー・ヴァレンティ× (SUB 裸絞め)
K-1中量級部門『K-1 WORLD MAX』において初めてMMAルールの試合が行われた。
山本徳郁は当時『修斗』フェザー級(旧ライト級)2位、2004年2月24日の『K-1 WORLD MAX』日本代表決定トーナメントに出場、準決勝に進出するも負傷欠場しており、本大会でMMAルールの特別試合を行う事となった。
2004年5月22日 さいたまスーパーアリーナ
『K-1 MMA Championship/ROMANEX 格闘技世界一決定戦』
2004年4月4日、『K-1』が本格的なMMA部門を創立、「K-1 MMA(当初の仮称)」第1大会の開催が発表された。
その後、正式名称が『ROMANEX(ロマネクス)』に決定、全10試合が行われた。
『UFC』ウェルター級第4代王者のBJ・ペンが『ROMANEX』でドゥエイン・ラドウィッグ戦に臨むも、ペンはこの試合によって『UFC』との契約解除、およびウェルター級王座を返上する事となった。
『ROMANEX』のシリーズ化は実現せず、『HERO'S』創立まで『K-1』のMMAルール名に名残を留めるのみとなった。
2004年7月7日 国立代々木競技場 第1体育館
『K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント決勝戦~』
<K-1 ミックスルール K-1ミドル級 3分×4ラウンド>
〇山本"キッド"徳郁 vs. 安廣一哉× (SUB アームバー)
山本徳郁が『K-1』におけるMMA2試合目として、『K-1』選手の安廣一哉と対戦。
本試合は1&3ラウンドが「K-1ルール*3」、2&4ラウンドが「MMAルール*4」という特殊ルールで行われた。
2004年10月13日 国立代々木競技場 第1体育館
『K-1 WORLD MAX 2004 ~世界王者対抗戦~』
<K-1 MMA/ROMANEXルール K-1ミドル級 5分×3ラウンド>
〇山本"キッド"徳郁 vs. ジャダンバ・ナラントンガラグ× (KO 右フック)
山本徳郁が『K-1』におけるMMA3試合目として、ジャダンバ・ナラントンガラグと対戦。
山本は試合後に『K-1 WORLD MAX』2004年世界トーナメント優勝者の小林雅人(魔裟斗)へ対戦を表明。2005年10月25日に『K-1 Dynamite!! 2004』における両者のK-1ルールでの試合が決定。
2004年10月30日 ゴイアニア・ホテル
『K-1 BRAZIL 2004 CHALLENGE』
<MMAルール ヘビー級 5分×3ラウンド>
〇リアンドロ・"バタタ"・シウヴァ vs. クリストフェル・ジ・アウメイダ× (TKO)
<MMAルール ライト級 5分×3ラウンド>
〇ハニ・ヤヒヤ vs. ファビオ・アウヴィス× (SUB 肩固め)
2004年11月20日 ブレイスデル・アリーナ
『Rumble on the Rock 6 -BJ・ペン vs. ホドリゴ・グレイシー-』
本大会はBJ・ペン主催のMMAプロモーション『ROTR』において、『K-1』が「K-1ファイティングネットワーク」を称して協力した大会。
フリースタイルレスリングのシドニー五輪オリンピアン、宮田和幸が自身初のMMAルールの試合に臨み、ホイラー・グレイシーと対戦。
2004年12月31日 大阪ドーム
『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 人類史上最強王決定戦』
『K-1 Dynamite!!』第2大会が開催され、総合格闘ルールの8試合が行われた。
柔道五輪候補者の秋山成勲と『K-1』選手のフランソワ・ボタが、両者ともに初となるMMAルール*5の試合で対戦。
2005年2月23日 有明コロシアム
『K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~』
<K-1 MAX 総合特別ルール K-1ミドル級 3分×3ラウンド>
〇宇野薫 vs. セルカン・イルマス× (SUB アームバー)
『修斗』ライト級(旧ウェルター級)第4代王者の宇野薫が『K-1』にて総合格闘ルールでセルカン・イルマスと対戦。
本試合は「寝技に30秒間の時間制限」が設けられた特殊ルールで行われた。*6
2005年3月26日 さいたまスーパーアリーナ
『HERO'S 1』
『K-1』の運営組織FEGが2002年2月に活動停止した『RINGS』の後継を旨とするMMAプロモーション『HERO'S(ヒーローズ)』を創立。
『RINGS』代表であった前田日明を顧問に迎え、『K-1』FEGのMMA部門が正式に誕生。
創立初期にはプロレスリング組織『BigMouse』が主催となり、2006年以降はFEGが主催を引き継いだ。『BigMouse』の選手であった柴田勝頼は、その後『HERO'S』に出場。
『HERO'S』は『RINGS』の「メガバトル・トーナメント」を引き継ぐ「世界最強トーナメント」が開催。また『K-1 Dynamite!!』への出場を目指す「ROAD to Dynamite!!」としても機能し、2007年まで3年間活動した。
2005年3月26日 国立代々木競技場 第1体育館
『HERO'S 2 ~ミドル級世界最強トーナメント開幕戦~』
2005年7月29日 アロハ・スタジアム
『K-1 WORLD GRAND PRIX 2005 in Hawaii』
<MMAルール ミドル級 5分×3ラウンド>
BJ・ペンが『K-1』ハワイGP大会でスーパーファイトとしてヘンゾ・グレイシーとMMAミドル級(185lb/84kg)で対戦。
ペンはこの試合を以てFEGと契約を終了し、2006年3月4日の『UFC 58』にてジョルジュ・サンピエールと『UFC』復帰戦を行った。
2005年9月7日 有明コロシアム
『HERO'S 3 ~ミドル級世界最強トーナメント準決勝~』
2005年11月5日 オリンピック公園第1体育館
『HERO'S 2005 in SEOUL』
2005年12月31日 大阪ドーム
『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 人類史上最強王決定戦』
2006年3月15日 日本武道館
『HERO'S 4』
2006年5月3日 国立代々木競技場 第1体育館
『HERO'S 5 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント開幕戦~』
2006年8月5日 有明コロシアム
『HERO'S 6 ~ミドル&ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント準々決勝~』
2006年10月9日 横浜アリーナ
『HERO'S 7 ~ミドル&ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント決勝戦~』
2006年12月31日 京セラドーム大阪
『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』
2007年3月12日 名古屋レインボーホール
『HERO'S 8 ~名古屋初上陸~』
2007年6月2日 ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
『Dynamite!! USA in Association with ProElite』
2007年7月16日 横浜アリーナ
『HERO'S 9 ~ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦~』
2007年9月17日 横浜アリーナ
『HERO'S 10 ~ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦~』
2007年10月28日 奨忠体育館
『HERO'S KOREA 2007』
2007年12月31日 さいたまスーパーアリーナ
『やれんのか! 大晦日! 2007』
2007年4月に活動停止した『PRIDE』運営役員に『M-1 Global』『K-1』『Deep』の各組織が協力して共催大会が開催。『K-1』運営のFEGから2名の選手が出場。
『HERO'S』ライトヘビー級(187lb/85kg)トーナメント優勝者の秋山成勲が、『PRIDE』ウェルター級(183lb/83kg)トーナメント優勝者の三崎和雄と対戦。
『K-1』選手でMMA2戦目となるチェ・ホンマンが、『PRIDE』ヘビー級(+205lb/+93kg)第2代王者のヒョードル・エメリヤネンコと対戦。
2007年12月31日 京セラドーム大阪
『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』
おわりに
意外と『K-1』の総合格闘ルールの試合を厳選した一覧というのが見つからなかったので、ちょっと作ってみたいな~と思って書いてみましたノシ
『K-1』は新空手と正道会館がグローブ空手の普及を目指す中で生まれ、やがてシンプルかつ明快なキックボクシングの新たなスタイルとして世界中に発展しました。
新空手の命名当初に『空手グレード1』という意味を持っていた『K-1』は、正道会館がその名を倣い世界へ広がるなかで『立技格闘の最高峰』の象徴としての意味も持つようになりました。
MMAがまだその形を見せていなかった1990年代初期という時代のなかで、フルコンタクト空手『正道会館』がシュートレスリング組織『RINGS』と出会うことで生まれた総合格闘ルール&ヴァーリトゥードの試合の数々。
MMAが徐々に姿を見せるなか、『K-1』と『PRIDE』が近づいた刹那に生まれた多くのK-1選手&プロレスリング選手たちのMMA挑戦。
そして『ROMANEX』を経て『HERO'S』が創立する『K-1』MMA部門の誕生に向けた試合。
『K-1』における「総合格闘」ルールの試合は、MMA激動の時代に生まれた特異点であり…それは多くの才能ある選手達がMMAへ挑戦する道を拓きました!!