クロネコMMA図書館🐾

ミックスドマーシャルアーツ(MMA)という格闘スポーツについて、コラムや試合レビューを書いています。

【2023.12】「あれから10年。」MMAの未来へ感じること。 #3「箱庭」の外側で考えるMMA。

 

10年前に書いた、「MMAとはスポーツになり得るか?」という記事。

あれから10年間のMMAを振り返り、今MMAへ想うことを書いてきました!

 

第1回「MMAとスポーツウォッシング」

第2回「誰が日本MMAを守れるのか」

 

いよいよシリーズも最終回となる第3弾。

MMAがさらに発展するために、避けては通れない「視点」についてのお話です!

 

 

#1MMAという『箱庭』の世界…閉じた世界観は誤解と断絶を生む

MMAというスポーツは、会場という閉鎖された世界で行われます。

同様に、MMAの技術を磨くために入る道場やジムも、閉鎖された意識の強い世界であるといえるでしょう。

その影響もあるのか、MMAは閉鎖された世界…『箱庭』の中だけの世界感に籠ってしまい、結果として「箱の外側」へ魅力が伝わりにくくなっているのを感じています。

 

MMAでは試合前にトラッシュトークや小競り合いを通して「事件」を演じることで、印象付けを行い、商品価値を高めようとする方法が採られます。

つい先日の「UFC」でも、リオン・エドワーズvs.コルヴィー・コヴィントンにおいて家庭の事情に踏み入る「事件」をトラッシュトークにて起こし、存在しない因縁を意図的に作り上げて演じました。

また、同大会ではUFCチャンピオンシップで対戦予定であるショーン・ストリックランドドリカス・デュ・プレシとが観客席にて小競り合いを起こす「事件」が起こってしまいましたが、結局のところUFCはそれを言外に演出の一環として認めています。

そのような「事件」で商品価値を高めてから試合を行うことで、MMAの試合で生まれた熱狂は会場という『箱庭』を越えて、社会へと広く波及していく…という結果には、残念ながら繋がっていません。

社会へとより強く伝播されているのは、先に演じた「事件」の方だからです。

 

「事件」にかき消され、MMAの試合の熱狂は『箱庭』の中で消費されるに留まってしまう…。

故に、ひとたび『箱庭』の外へ出れば、MMAへのイメージは現在に至るまで「事件性の強いエンターテインメント」の域を出ていないのだと感じてます。

ここに、『箱庭』の内側と外側との間に生まれる誤解や断絶があり…つまりはMMAというジャンルの発展が阻害される要因のひとつが生じています。

 

#2MMAという『箱庭』の外へ…繋がろうとしなければ、認識も理解もされない

MMAはとかく『箱庭』の内側の世界感を守ろうとしがちです。

『箱庭』の中で勝敗をつけて、人気の格差をつけて、ランキングをつけて…と続けていると、内側の世界感に終始してしまい、外側へ届くことはありません。

 

MMAは、近しい世界感のコンバットスポーツやアパレル等の「身内」のジャンルと繋がれても、全く違う価値観や世界観を持つジャンル…「他者」に理解してもらう為の働きかけが出来ていないのでしょう。

そのため、そもそもMMA」というジャンルそのものが…スポーツにせよ、エンターテインメントにせよ…「箱の外側」に認識や理解をされていない。

 

太田忍平本蓮は、他競技をルーツにMMAへと挑戦を続ける選手たちです。

しかし、二人が望む望まないに関わらず、「箱の外側」のメディアの多くはルーツである「レスリング選手」であることを太田に、「K-1選手」であることを平本に望むでしょう。

それは、レスリングやK-1というジャンルが、MMAよりも社会と広く繋がり、認識や理解を獲得してきた実績に他なりません。

 

平良達郎鈴木千裕は、今年の日本MMAで最も大きな成績を残した選手といえます。

しかし、平良の活躍する修斗」「UFC」は結局どんなスポーツなのか?…それを「箱の外側」から認識や理解できている人が、果たしてどれだけいるのでしょうか。

鈴木が達成した「MMAとキックボクシングの二冠制覇」も、無論その素晴らしさを『箱庭』の人達は分かっているとはいえ…少なくともMMAという「二冠」の片翼が社会で認識や理解されているとはいえないのではないでしょうか。

 

朝倉未来はアマチュアからMMA選手として成績を残し、海外試合や王座挑戦も経験しています。

しかし、「箱の外側」の多くのメディアが朝倉に求めているのは「事件性の強いエンターテインメント」の渦中の人としての側面でしょう。

なんとはなしに「格闘競技」として思われていても…朝倉が闘ってきたMMAという過酷なスポーツであるという肝心のポイントは、伝わり切っていないのではないでしょうか。

 

上記の選手みんなが過酷な闘いを魅せてくれているにも関わらず、MMAというジャンルそのものが『箱庭』の外へと伝わっていないために、その熱狂もまた伝わることができていない

最終的には「事件」だけが、『箱庭』の外へと伝わって行ってしまう。

それは、本当に悲しいことですし、日本のみならずMMA全体にとっても発展を阻害する一因となってしまうでしょう。

 

『箱庭』の外側へと熱狂を届かせるためには、MMAが「社会と繋がる」…もっと具体的に言えば、他のスポーツジャンルや幅広いジャンルとの繋がりを積極的に持ち、その認識や理解を広げていく必要があると感じます。

人は、繋がりがあるから興味を持ち、また深く知ろうとすることもできます。

繋がろうとしなければ、理解をされることもなく。

理解をされることがなければ、親しまれ熱狂が波及していくこともありません。

 

#3MMAが『箱庭』を出る為に…大事なのは「自己紹介」!

MMAが『箱庭』の外側と繋がるために、必要なことは沢山あると感じます。

MMAプロモーターが社会との共通理念に基づく制約を守って運営を行うこと。

MMAメディアも広報に留まらず、プロモーター等が制約を守っているかを是正していくこと。

これらも非常に大事なことであり、今後も望みたいことではあります。

その上で、いちばん大事なのはMMA選手の「自己紹介」であると感じます。

 

『箱庭』の中で「事件」をアピールするのは、つまるところ内側の価値観に自分を合わせてしまっているということです。

それは、『箱庭』の庇護下のなかでのアピールに留まってしまっているのであり、結果として外側へ伝播する力を持ち得てはいないのだと感じます。

外側へと強く伝播するには、『箱庭』の世界観を打ち破る…そんな強い「自己」を魅せる必要があります。

 

韓国MMAで大きな飛躍を遂げた「BLACK COMBAT」は、第1回目のオーディションでプロ&アマ選手が入り乱れた斬新な形式の試験を行っています。

「格闘能力60点、個性30点、トーク力10点」という配点でMMA選手の総合的な価値を測ったこの試験において、大きな注目を集めたのが当時はまだアマチュア選手であったキム・ソンウでした。

ソンウンは試験において対格差のあるキム・ドンファンに敗れますが、その後にレフェリーへ猛抗議を行い、ドンファンとの再戦に勝利します。続けて「トーク試験」でもトラッシュトークを続けて強い印象を勝ち取り、最終的には予想を超えるベスト4に到達しました。

 

ここで最も大事だったのは、ソンウンがベスト4に入ったことでも、過激なトラッシュトークの才能を持っていたことでも、交渉に長けて再戦の機会を得られた幸運でもありません。

ソンウンの行ったレフェリーに抗議するという行為そのもの…つまり、自分より経験豊富で実績のある上司や先輩に対し、反する自分の意志を最後まで貫き通したこと…。

それが、韓国MMAという『箱庭』の世界感を超えて、韓国の人々に衝撃を与えたし、同時にキム・ソンウンという一人の「自己」が確立された瞬間だったのだと思います。

 

プロフェッショナルのスポーツ&エンターテイナーに求められることは、『箱庭』の世界感を打ち破るほどの「妥当性をもった価値観への衝撃」を人々に与えることです。

それは既成の概念を打ち破ることでもありますし、そこに賛否があれども、自己のルーツから生まれ出た強い意志によって放たれた意見には、『箱庭』の外側にも通ずる妥当性を以て受け止められることでしょう。

MMAというジャンルが外側と繋がるために最も大事なことは、「自己」のルーツと系統を客観的に認識し、『箱庭』に守られずとも自立した意志をもって広く「紹介」していくことにあるのだと感じています。

その「自己紹介」に説得力が生まれたとき、『箱庭』に留まらない人々との繋がりが生まれ、延いてはMMAというジャンルへの認識と理解も深まっていく一助へと繋がっていくのであろうと思います!

 

#4MMAの「役割」…何を『箱庭』の外へ伝えられるのか

スポーツであれ何であれ、どのようなジャンルにも「役割」があり、そこに基づく「妥当性」があるからこそ説得力が生まれます。

わたしは、MMAがずっと与えられてきた役割は「怒り」であると思います。

闘いへのボルテージも、それに付随したトラッシュトークや小競り合いも…それは「怒り」を担わされたから、と言えるのではないでしょうか。

 

『箱庭』の中ではない、外側へも広く繋がりを持てる「怒り」とは何なのか。

「怒り」という暴力性の強い攻撃をもって、MMAは『箱庭』の外側へ繋がりを持てるのでしょうか。

それは非常に難しいことですし、私利私欲の強い個人的で傲慢な「怒り」になってしまえば、多くの人は繋がりを断ちたいでしょうし、それはMMAの断絶を意味します。

 

しかし、個人の力では抗えない、そんな目に見えない苦しみへの「怒り」…自己のルーツから生まれ出た、純粋かつ抗いを持った「怒り」であれば、それは『箱庭』の外側の人々へも届き、手を伸ばし繋げたくなる共感を生むのではないでしょうか。

 

かつてのモハメド・アリが、『箱庭』には到底収まらないとてつもなく大きな「怒り」を背負って試合に臨んだことは、ジャンルを超えてコンバットスポーツ選手の目指すべき一つの指標のようにも感じます。

 

コナー・マグレガーが『箱庭』の外側へと広がる共感を得た理由は、苛烈なトラッシュトークや卓越したMMA選手としての技術が一番の理由では無いと感じます。

それは、彼のルーツであるアイリッシュの系譜が、当時MMAを解禁せんとしていたニューヨークに強く息づいているからであり…。

過酷な歴史を持つアイリッシュ系譜のアメリカ人の人達の胸にある「反骨の怒り」に、マグレガーが自らを鼓舞して抗う姿勢が『箱庭』を打ち破るほどの爛々とした明りを灯したからではないでしょうか。

 

「怒りの代弁者」たるMMAが『箱庭』を超え外側との繋がりを持つために。

MMAという素晴らしいスポーツが、真の認識と理解を得るために。

個人の自己中心的な「怒り」ではない、優しく強い心から生まれる広い共感性を持つ抗いの「怒り」。

それは、MMAを10年後にも繋げていくにもなっていく一つの鍵になると、そう感じます!✨🔥🔑🔥✨

 

#5おわりに

私は、正直にいってMMAのスポーツとしての技術以外にあんまり興味はありません。

それは、「怒り」に触れること自体が好きじゃないから…共感性が強すぎて、滅入ってしまうから、でもあります。

それに、理不尽なことを感じて「怒り」が生まれてしまう、というのも、わざわざエンターテインメントとして楽しむ上では損をしてしまうから、という理由もありますね~。

 

私はMMAが大好きですし、MMAをずっと観てきています。

但し、ずっとMMAという『箱庭』の価値観に特別に共感することはなかったですし…だからといって「怒り」をもって断絶することもありませんでした。

そのため、MMAという『箱庭』の内外を、常に行ったり来たりして過ごしてきたな~と感じています。

 

今回、10年間を振り返る本シリーズを通して、よりMMAというスポーツに対する理解も深めることができたな~と思っています。

同時に、世界のMMA、そして日本MMAに、まだまだ『箱庭』を超えて多くの世界の人達の心を響かせられる可能性が満ちているとも感じました!

2024年からも、MMAというスポーツの歩んでく「新しい10年間」を楽しみにして観守っていきたいと思います!!😍