『THE "U"-JAPAN -SUPER FIGHTING Vol.1-』
ザ・"ユー"・ジャパン ~スーパー・ファイティング・ヴォル・ワン~
別名 U-JAPAN、アルティメットジャパン
開催国 日本
主催 THE "U"-JAPAN実行委員会
主催者 岡本寛二(オカモト・カンジ、実行委員長)
佐久間大三(サクマ・ダイゾウ、副委員長)
開催日 1996年11月17日(日)
会場 有明コロシアム
試合場 八角形ケージ
「MMAの前史/MMA PRE HISTORY」第5回は、日本で最初の「八角形ケージ(オクタゴン)✖ヴァーリトゥード」大会を紹介します!
UFCの頭文字からヴァーリトゥードが「U(アルティメット)大会」と呼ばれていた1990年前半期、「U」の頭文字はヴァーリトゥードそのものであり、究極の闘いの象徴でした。
『 THE "U"-JAPAN(a.k.a.アルティメットジャパン)』は、1996年に「アルティメット」…「八角形ケージ✖ヴァーリトゥード」の完全直輸入を志して発足され、1997年の『UFC』初来日に先駆けた「U大会」を開催しました!!
今回はそんな『THE "U"-JAPAN』の挑戦、そして魅力を紹介していきます~ノシ✨
- #1 『THE "U"-JAPAN』概説…日本MMAケージプロモーションの先駆け
- #2 『THE "U"-JAPAN』ルール…「アルティメット」黎明期の魅力
- #3 『THE "U"-JAPAN』試合レビュー…日本MMA初の「オクタゴン」の闘い
- #4 おわりに
#1 『THE "U"-JAPAN』概説…日本MMAケージプロモーションの先駆け
1996年、日本ではまだケージ✖ヴァーリトゥードの本格的な大会は殆ど開催されていませんでした。
唯一、1995年に『L-1 '95』が六角形ケージ大会を開催したのみ…それ以外はリングのロープ内側に金網を置いて「特別試合」をする…という暫定的なケージの設営に留まっていました。(L-1については下記参照↓)
そのような過渡期に、『THE "U"-JAPAN』は本格的な「八角形ケージ✖ヴァーリトゥードルール」を導入するという、日本で初めての挑戦に臨みました!
『THE "U"-JAPAN』でもうひとつ特筆すべきことは、本来この大会は「U大会」の継続的な直輸入を目指していた「日本で最初の『ケージ専門MMAプロモーション』」でもあった、ということです。
『THE "U"-JAPAN』は副題に『VOL.1』とあるように、もともと翌年(1997年)から8大会を定期開催する予定であったと云われています。
翌年からは「U大会」の様にトーナメントの開催も視野に入れ、アメリカ合衆国のプロモーションとの共同開催に向けて交渉もしていたと云われています!
結果的には「旗揚げ」した第1大会で活動を終了した為、全ては青写真に終わってしまいましたが…(´;ω;`)
しかし、後の2006年に創立した『CAGE FORCE』より10年も先駆けて、日本にケージMMAの長期開催を試みたプロモーションが存在していたことは、歴史として残されるべき足跡であろうと感じます!
#2 『THE "U"-JAPAN』ルール…「アルティメット」黎明期の魅力
『THE "U"-JAPAN』の開催された1996年は「アルティメット」黎明期であり、「アルティメット」ルールも模索の段階でした。
本家UFCにおいても「ジョン・マケイン事件」によって開催が危ぶまれていた時期でした。
MMA統一ルールが生まれる以前の、本当に先行きの見えない不安定な時代。
そんな時代の中でも、それぞれの大会や試合で、「最良の"U"」を目指したルールが作られていた時代であったといえます。
『"U"-JAPAN』もまた、独自の「最良の"U"」を目指したルールを作りました。
その概要がコチラになります!(特に注目すべき点には下線を引いてあります👍)
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール概要
試合時間 無制限1ラウンド
決着方法 ①選手のタップ ②レフェリーストップ ③コーナーのタオル投入
判定 無し
服装 マウスピース、ファウルカップの着用は義務。
オープンフィンガーグローブの着用か、素手かのどちらかを選択する。
道着の着用は可能。ニーパッドやテーピング等も可能。
シューズの着用は可能。(シューズの部位を使った蹴りは禁止。)
可能な攻撃 すべての攻撃(頭突き、肘打ちを含む)が認められる。
ケージ(金網)を掴むことは反則にならず、認められる。
反則攻撃 眼突き、噛み付きは禁止される。
シューズを着用した場合、シューズの部位を使った蹴りは禁止される。
備考 寝技においてブレイクは基本的に行わない。
上記ルールの中で、現在のMMAと大きく違う点は2つあります。
①シューズを履いた場合、シューズの部位を使った蹴りは禁止となる。
これ、実は初期のUFCで採用されていた古式床しいルールなんですね~。
このルールの為、本大会におけるレスリング系の選手は事実上蹴りを封じられていたんですね!💦
後述しますが、この「蹴りの封印」によってレスリング系の選手は開幕から一気にテイクダウンを狙わざるを得なくなり、それが短期決着の連続にも影響したのかな~?と感じています!
②ケージ(金網)を指で掴む行為は禁止されず、認められる。
こちらも初期のUFCでは事実上、禁止されていなかったと記憶していますね~。
しかし、ここまでハッキリと「ケージ掴みOK!」と明文化されているルールは珍しいかな?と思います!
このルールによって、本大会ではMMAの歴史でも珍しい「ケージ掴みの認められた闘い」を観ることができます!(これは貴重です!)
試合巧者の選手ともなると、見事な「ケージ掴みテクニック」も披露してくれており…現代MMAではもう観られない「MMAオーパーツ」を観れた気がしますね~😍
こちらも後述したいと思います!
これら2点のルールは、現代の視点から見ればこそMMAの試合の幅を狭めてしまう「難しいルール」であったと分かりますが…
当時の時代背景を鑑みることで、むしろ意欲的にチャレンジした故の「勇敢な失敗」であったとも感じます。
むしろ、『THE "U"-JAPAN』はマジメに「U大会」の直輸入を目指したからこそ、ルールにもマジメに「U」を採り入れたのかな?とも感じますね~!
そのマジメさが経営目線での成功に(恐らく)繋がらなかったのは残念ですが…💦
だからこそ、「MMAオーパーツ」としての史料的な価値は高いのでは、と感じます!
#3 『THE "U"-JAPAN』試合レビュー…日本MMA初の「オクタゴン」の闘い
ここからは全試合をレビューさせて頂きます~✨
日本で初めての「オクタゴン」に登壇し、ヴァーリトゥードへと挑んだ選手たち!
果たして、八角形ケージの中でどのような結末が生まれたのでしょうか!
現在のMMAルールではもう観られない、「シューズによるキック禁止ルール」&「ケージ掴みOKルール」が生み出す試合展開やオーパーツ技術にも注目しています!
第1試合
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
片瀬 (27歳 174cm/90kg ミドル級相当)
ヴァレランス (27歳 203cm/136kg ヘビー級相当)
※両者グローブとシューズを未着用。
片瀬は『THE "U"-JAPAN』の八角形ケージを作成した「誠産業」系列の「CMA(中京格闘技連盟)誠ジム」所属の選手で、今回がヴァーリトゥード初挑戦でした。
ヴァレランスは「ポーラーベアー(北極熊)」の異名をとる『UFC 7』のファイナリストであり、UFC大会に四度出場していたという、当時の「U大会」ベテラン選手でした。
試合はヴァレランスが序盤から圧力をかけて片瀬を金網へ追い詰めると、左前手のパームストライク(掌低打ち)を頭に連続で打ちこみます。
片瀬は前に詰めるヴァレランスの左前脚をシングルレッグで捕らえ、腿を抱えたハイクラッチからTDを狙います。
しかし、ヴァレランスは左クローで顎をかち上げて堪えると、背後からシートベルト(襷掛け)をかけ、片瀬の左脚を小外掛で崩してカウンターでTDに成功します。
TDを獲ったヴァレランスはハーフから片瀬を圧倒。アメリカーナを仕掛け、さらにパウンドを連打した所でコーナーがタオルを投入しました!
勝者 ポール・ヴァレランス
0:35 棄権(パウンド連打によるタオル投入)
ヴァレランスのパームストライクを使った間合いの支配が面白かった試合でした!
裸拳のヴァーリトゥードならではの戦法で、片瀬は「追い込み漁」に捕らえられてしまいましたね~💦
TDを獲られた時点で勝負ありと、片瀬のコーナーが早めに止めてくれたのがグッドでしたb
第2試合
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
高橋 (23歳 172cm/67kg フェザー級相当)
リヴァイ (34歳 178cm/98kg Lヘビー級相当)
※リヴァイのみグローブとシューズ、ニーパッドを着用。
高橋は女子プロレスリング選手として活躍し、当時は「吉本女子プロレスJd'(ジェイ・ディー)」でレフェリーを務めていました。
高橋は本大会の4ヶ月前、全日本女子プロレスリング主催の「団体対抗」女子ヴァーリトゥード大会『U★TOPトーナメント』に出場しており、連続で二度目のヴァーリトゥードに挑戦したのでした。
リヴァイはドン・フライやダン・セヴァーンのUFC優勝に貢献したコンディショニングトレーナーであり、二人の来日に併せて今大会でヴァーリトゥードに初挑戦しました。
リヴァイ自身はウェイトリフティングの選手でしたが、ボクシングやレスリング、そして柔道の練習にも取り組んでいて、その成果を試す試合でもあったと感じますね~。
試合開始からリヴァイが間合いを詰め、右クロスを起点に左リードパンチ連打で高橋をケージに追い詰めます。
高橋はパンチの雨を耐えてダブルレッグで反撃を試みるも、リヴァイは両手のクローで防御してTDを遮断します。
リヴァイは組みから離れ際に右フックを連打、高橋も右ミドルキックで反撃しますが圧力に下がってしまい、リヴァイは再びケージに追い詰めてフロントヘッドロックに捕らえます。
防御に精一杯の高橋に対して、リヴァイは組んだまま頭部へ膝蹴りの連打を撃ちこみ、さらにニンジャチョークの様な極めも狙います。
高橋はチョークを耐えると左前脚への右チェックキックで脱出を試みますが、リヴァイは右腕で高橋の首を抱えたまま、ケージを掴んで固定して左ショートパンチで削っていきます。
なんとか距離をとった高橋、右ボディショットや右アッパーで果敢に攻めるも、リヴァイの反撃の右ショートフックが顔面に炸裂!
高橋はダメージでたたらを踏んでダウンし、リヴァイがパウンドで追撃しようとした所でレフェリーが試合を止めました!
勝者 ベッキー・リヴァイ
2:14 右フック&パンチ連打
リヴァイが完勝した試合でしたが、「シューズによるキック禁止ルール」であったことを考えれば、一気に間合いを詰めてパンチ連打で攻めざるを得なかった背景を感じますね~。
「際」を捉える丁寧なボクシングに加えて、ニンジャチョークの様な仕掛けもみせる組技の幅広さもあり、リヴァイのMMA選手としての良さが詰まった一戦でした!
高橋はローキック等で距離を取れると勝機も上がったとは思いますけれども、当時のヴァーリトゥードで二戦目という状況ではそれも現実的に難しかったでしょう。
高橋はそんな厳しい試合のなか、最後までパンチを撃ち攻め続けた姿勢を魅せてくれましたね~。
リヴァイはその後『IFC』でスーパーファイト王座を獲得し、高橋も『SMACK GIRL』で無差別級王座を獲得しています✨👑✨
第3試合
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
スミス (33歳 188cm/102kg ヘビー級相当)
ベネトー (29歳 188cm/106kg ヘビー級相当)
※ベネトーのみシューズを着用。両者グローブを未着用。
スミスは『UFC』第1大会に出場したレジェンド8選手の一人であり、『UFC 2』でも決勝戦まで進んだUFCファイナリストでした。
テコンドーやフルコンタクト空手をベースにした打撃が武器で、未知の世界であったヴァーリトゥードに真っ先に挑戦した蛮勇も相まって高い人気を誇った選手です。
ベネトーも『UFC 5』で決勝戦まで進んだUFCファイナリストです。
フリースタイルレスリング選手ですが、ダン・セヴァーンとの決勝戦では激しいパンチの応酬でも魅せたカナダのヴァーリトゥード先駆者です。
試合開始の直後、ベネトーはダブルレッグで奇襲をかけますが、スミスはサイドステップでこれを回避します。
ベネトーは即座に二発目のダブルレッグを敢行、スミスはスプロールを試みますが、ベネトーの突貫力に軍配が上がりTDに成功します。
スミスはオープンガードから腕十字やランバージャックスイープを試みようとしますが、ベネトーはレッグドラッグでスミスの左脚を払うと、サイドポジションへのガードパスに成功します。
サイドを獲ったベネトーですが、スミスは顎下にフレームをかけて防御しつつ、再びオープンガードに戻すことに成功します。
再びガードパスの攻防になるかと思われましたが、ベネトーはガードのまま右パウンドを撃ち下ろし、これがスミスの左眼に着弾!
スミスのタップアウトによって、ベネトーが見事に勝利しました!
勝者 デイヴ・ベネトー
1:09 棄権(右パウンド連打による左眼の負傷)
ベネトーは元々レスリング一本筋の選手でしたが、この試合では相手が打撃主体のスミスだったこと、また前述の「シューズによるキック禁止ルール」であったこと等から開始早々にTDをとにかく狙って「打撃封じ」に徹していしましたね~。
裸拳でも構わずにパウンドをガンガン撃ち込んでいくアグレッシブさで、見事に勝利を呼び込みました!
スミスはベネトーの試合運びに光を消されてしまった形でしたが、ボトムポジションになってからガードでしっかりと闘えていた所に、ヴァーリトゥード選手として進化していた鍛錬を感じされてくれましたね~。
ここから更にもう一手先のスイープまで行けのなら、また違った試合展開も観られたのかな~、と思ったりしました。
第4試合
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
臼田 (26歳 172cm/83kg ミドル級相当)
イズマイウ (28歳 170cm/85kg ミドル級相当)
※両者グローブとシューズを未着用。
臼田は「プロフェッショナルレスリング藤原組」を経て「格闘探偵団バトラーツ」で活躍したシュートレスリング選手で、1993年の『K-1 聖戦Ⅰ』にて総合格闘ルールの試合にも挑戦しました。
臼田は本大会の5ヶ月前にブラジルの『UVF 2』に出場、ヴァーリトゥード初挑戦でイズマイウに一本敗けしており、今回はリベンジを目指したダイレクトリマッチでした。
イズマイウはUFCの誕生前、1991年にブラジルの「柔術vs.ルタ」大会でエウジェニオ・タデウに勝利したカーウソン・グレイシー門下の柔術使いでした。
グレイシー一家とも激闘を繰り広げたカーウソン柔術の顔役といえる選手で、ヴァーリトゥードでも柔術を駆使して活躍しました。
まず遠距離の牽制から始まった試合で、先手を獲ったのはイズマイウでした。
イズマイウは左間接蹴りをフェイントにした右オーバーハンドを撃ち込むと、バランスを崩した臼田を両差しで寄り切りTDを奪います。
臼田はボトムから腕十字を狙うも不発、イズマイウが左脚をレッグドラッグしてサイドへのガードパスに成功します。
そのままクロスフェイス(枕)で押さえ込むイズマイウは、臼田の左腕を対角リストコントロールで固めながら、側頭部へパウンドを撃ちこんで「追い込み漁」を仕掛けます。
イズマイウはうつ伏せに追い込まれた臼田をサイドライドで捕らえ、両足をフックしてバックマウントを完成させます。
イズマイウは臼田の後頭部(頸椎)に右パウンドを連打、ダメージに動きの止まった臼田を裸絞めで捕らえて一本勝ちしました!
勝者 ヴァリッジ・イズマイウ
3:10 裸絞め
イズマイウは初戦では臼田にギロチンを掛けられるシーンもあったものの、今回の再戦では前戦以上に落ち着いた試合運びができていたと感じます。
アウェーの地に赴き、ほぼ前戦のリプレイに近いパーフェクトゲームを遂行してみせたイズマイウ、流石の職人技でした!
臼田はブラジルに飛び、果敢にイズマイウに挑んだ前戦が熱い試合だっただけに、わずか数ヶ月での再戦するよりも準備期間を作って欲しかったと感じましたね~💦
即再戦って基本的に勝った側の方が落ち着いて試合ができますし…臼田のヴァーリトゥード挑戦をもう少し観たかったな~…と思っています。
第5試合
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
フライ (30歳 185kg/93kg Lヘビー級相当)
ホール (35歳 183kg/88kg ミドル級相当)
※フライのみグローブとシューズ、ニーパッドを着用。
フライは『UFC 8』にてヴァーリトゥードに初挑戦し、トーナメントを制して優勝を果たしました。
優れたNCAA D1五輪候補レスラーであり、元プロボクシング選手でもあったフライは、「U大会」にて最初期のウェルラウンダー(万能型選手)であったと云われています。
ホールは『UFC 7』でUFCに初出場してから4大会に連続出場、今回は5ヶ月前に『UFC 10』トーナメント準々決勝で敗れたフライとの再戦でした。
ボクシング選手になる夢を事故で断念し、武術学校のインストラクターからUFCデビューした経歴の持ち主で、主にテコンドー仕込みの打撃を武器としていました。
試合開始からフライが間合いを詰め、ホールの左サイドキックをパリーして右ストレートをいきなり撃ち込みダウンを獲ります!
フライはすぐさま離れて打撃の撃ち合いを選択し、ホールの右フックをヘッドスリップで回避すると、懐に潜ってクリンチボクシングで攻め込みます。
ホールはホイールキック(後ろ廻し蹴り)で反撃を試みますが不発し、フライはボディロックで捕らえてTDに成功します。
フライはマウントからパウンドを撃ち下し、脱出しようとするホールを逃さずハーフポジションで押さえ込みます。
フライは左腕のフレームで「ピン留め」してホールの頭部を固定すると、狙い澄ました頭突きの連続攻撃でダメージを与えてサイドポジションへパスします!
ホールもボトムガードを駆使してクローズドガードに戻しますが、フライは上空からのパウンド連打、ローポスチャーからの頭突きでガードを貫通するダメージを与えていきます。
フライは消耗したホールをケージ際まで詰めると、ケージを指で掴んでバランスを取りながらパウンドで追い込み、そしてスタックパスで二度目のサイドポジションを獲ります。
そのままフライが右前腕を顎下にかませてチョークを極めると、ホールが遂にタップしてフライが一本勝ちしました!
勝者 ドン・フライ
5:29 フォアアームチョーク(前腕ギロチン)
フライは『UFC 10』のホールとの初対戦においても「TDから左腕フレームで固定して、パウンドと頭突きで削り続ける」戦法で勝利しており、再戦でもほぼ同じ闘い方で完勝しました。
フライはデビュー戦から既に「レスリングの優れた体幹を活かした間合いの制圧」と「クリンチと融合させたショートパンチの連打」というアメリカMMA王道スタイルで闘っていた選手であり、改めて完成度の高さを実感しました!
ホールはサイドキック等の蹴りで間合いを取りかったとは思うのですが、初対戦に続きフライの圧倒的なフレームの強さに持ち味を完封されてしまいましたね~💦
ホールはわずか1ヶ月後の『ULTIMATE ULTIMATE '96』でも代役でフライと対戦してアキレスロックで一本敗けし、選手としてのキャリアは減っていきました…。
…だけでは終わらず、ホールはプロモーターへ転身すると、『KOTC』に先んじてネイティブアメリカン居住区で初のMMA大会『COBRA QUALIFIER '96』を開催し、歴史に名を刻みました!
第6試合(トリプルメインイベントⅠ)
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
セヴァーン (37歳 188cm/118kg ヘビー級相当)
松永 (30歳 180cm/105kg ヘビー級相当)
※セヴァーンのみシューズとニーパッドを着用。両者グローブは未着用。
※松永は道着を着用。
セヴァーンは『UFC 5』『ULTIMATE ULTIMATE '95』で二度の優勝を誇り、UFCヘビー級王座の前身ともいえる「UFCスーパーファイト王座」を獲得した、UFCでも歴代最高位のレジェンドの一人です。
フリースタイルレスリングをルーツに持ち、当時の日本において『UWFインターナショナル』でシュートレスリング選手としても活躍、人気と実力を兼ね備えたヴァーリトゥード選手として、5ヶ月前の『VTJ '96』に続き来日を果たしました。
松永は「FMW」「W★ING」等で活躍したプロレスリング選手であり、二階からのダイブや流血試合に臨む蛮勇から「ミスターデンジャー」の異名をとりました。
松永は相撲や空手にルーツを持ち、「誠心会館」に所属して空手選手としても活躍、その経緯をもって本大会でヴァーリトゥードに初挑戦しました。
試合開始からセヴァーンが圧力をかけ、松永が牽制で左前脚のローキックを放ったところに、狙い澄ましたカウンターのダブルレッグTDを成功させます。
セヴァーンは両襟首を引いて松永を引き摺り上げてサイドポジションを獲ると、豪快な連続ボディスラムで叩きつけ、さらにはスープレックスを決めて再びTD&サイドポジションを獲ります。
セヴァーンは一旦ガードのなかに自ら戻り、松永にクローズドガードで組まれたままケージ中央へと移動します。
セヴァーンはカラータイ(後頭部側の襟を掴むコントロール)からリフトアップし、松永を連続でスラム!ダメージに松永の動きの止まったところでサイドポジションへガードパスします。
セヴァーンはサイドポジションから左腕でクロスフェイス(枕)、右腕で前腕フレームを首に押し込み松永に追い込みをかけます。
松永は髪を掴んで反撃の意志を示しますが、セヴァーンはファーサイドステップからアームピット・アームロック(腕挫腋固め)を極めてタップアウトさせました!
勝者 ダン・セヴァーン
1:32 アームピット・アームロック(腕挫腋固め)
セヴァーンが当代最強の一角に相応しい、有無を言わさぬ完勝劇を魅せてくれました!
セヴァーンも「シューズによるキック禁止ルール」の対象ではありましたが、対峙の瞬間から松永を支配して下がらせ、蹴りを誘発させて「自らは撃たず、圧力のみで撃たせて完封する」パーフェクトなグラップラーとしての闘いを遂行してくれましたね~(グレート!!✨)
松永はヴァーリトゥード初挑戦でのセヴァーン戦…という実力差のありすぎるカードで、正直に言えばこの試合だけでは全くMMA適正を判断できないな~と感じます💦
当時はまだヴァーリトゥードが「度胸試し」の意味もあった時代ゆえ、仕方ないところもありますが…この一戦だけで松永のMMAキャリアが終わってしまったのは勿体なかったな~と感じますね~。
第7試合(トリプルメインイベントⅡ)
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
安生 (29歳 180kg/100kg Lヘビー級相当)
アルヴァレス (25歳 190kg/105kg Lヘビー級相当)
※両者グローブとシューズを未着用。
※安生はロングスパッツを着用。
安生は「初代UWF」から「UWFインターナショナル」にかけて活躍したシュートレスリング選手であり、「新日本プロレス」対抗戦での活躍やトラッシュトークで人気を獲得した選手でした。
1994年にヒクソン・グレイシーとの道場試合において一本敗けした安生は、結果的にヴァーリトゥード日本伝来の切っ掛けを作った人物としても注目され…本大会で遂に「アルティメット」ルールの試合に初挑戦したのでした。
アルヴァレスはヘンゾ・グレイシー門下の柔術使いで、22歳でアラブ首長国連邦創立者の息子、タヌーン・ビン・ザイード・アル・ナヒヤーン殿下の専属トレーナーを務めた経歴の持ち主です。
当時すでにパンアメリカン柔術大会で優勝する等の活躍をみせていたアルヴァレスは、本大会でヴァーリトゥードにも初挑戦するべく来日しました。
試合開始から前に出るアルヴァレスに対して、安生が左前脚のインサイドローキックで牽制打を放ちます。
安生はアルヴァレスの左ジャブをブロックしながら右ミドルキック、続く右ハイキックをフェイントにして左構えにシフティングすると、レベルチェンジから先制のダブルレッグTDに成功します。
アルヴァレスはボトムガードからカラータイで安生のパウンドを封じつつ、ボディへの右ヒールキック(踵蹴り)や頭突きで牽制します。
安生は牽制打に怯まずトップポジションを安定させて、左腕フレームでアルヴァレスの顔面を固定してから、勢いよく頭突きを撃ちこんで流血ダメージを与えます。
安生はポスチャーアップ(トップキープしながら姿勢を起こす)に成功すると、アルヴァレスの左脚をアシガラミで巻き込み一気にアキレスロックを狙います…が、アルヴァレスは素早く身を起こしてこれを防御&スイープして体勢を逆転させます。
アルヴァレスは左腕のクロスフェイス(枕)で押さえつつハーフへのパスを狙いますが、安生は右脚のスパイダーガード&右腕フレームで右膝を押してこれを防ぎます。
一旦パスを止めて削りに以降したアルヴァレス、クロスフェイスのまま右腕で安生の脇腹と側頭部へパウンドを撃っていき、安生も左腕フレームで突き放しつつボトムからの頭突きで迎撃します。
アルヴァレスは何とか安生の右脚をパスしにかかりますが、安生は右腕でケージを掴むと、右脚のスパイダーガードを上昇させてエレベーションスイープ!アルヴァレスを突き飛ばし、スタンドに戻して正対します!
安生はスクランブルからダブルレッグで懐に潜り、アルヴァレスもガードに引き込んで再び安生がトップポジションとなります。
アルヴァレスはクローズドガードで固めて腕十字と三角絞めを狙いにかかり、安生も両腕フレームを立ててこれを防御しつつ、ボディへ左肘打ちを撃って展開を動かそうとします。
安生はポスチャーアップでクローズドガードを破壊すると、アルヴァレスの頭部へ裸拳の右パウンド✖左肘打ちの連打、さらに頭突きを撃ち込みます!
苦しい展開のアルヴァレスでしたが、安生がポスチャーアップで追撃しようとしたところに、右脚のガードで腰骨を押し込んで安生を突き放すことに成功します!
一旦完全に距離の開いた両者、先に動けたアルヴァレスが左ジャブのフェイントからレベルチェンジ&ダブルレッグでTD寸前まで持ち込み、安生は咄嗟に右手でケージを掴んでギリギリでこれを耐えきり、ここから両者の神経を削り合う「ケージファイティング」が始まります。
アルヴァレスが安生にケージを背負わせて押さえ込み、じわじわとTDの隙を抉じ開けようと削りに行くと、対する安生も右腕のケージ掴み&左腕フレームでアルヴァレスの右前腕を払い除けてTDを防ぎ続けます。
安生が左肘のフレーム&首相撲で頭をコントロールしつつボディへの膝蹴りで迎撃するも、アルヴァレスは安生を挟んで両手でケージを掴んで完全に捕獲すると、前方から体重をかけつつ後ろ手でボディロックをジワジワと狙っていきます。
長く神経の削り合いが続くなか、アルヴァレスが安生の左縦肘が撃ち下された瞬間を逃さずについにダブルレッグに捕獲!安生は両手でケージを掴み、両脚を浮かされながらも辛くもケージにしがみつきます。
必死の攻防を続ける両者でしたが、安生の腕のパワーが落ち始めてアルヴァレスの侵攻を防ぎきれなくなり、遂にアルヴァレスがダブルレッグTDを成功させます!
二度目のクロスフェイスポジションを獲ったアルヴァレス、安生もクローズドガードから右腕をケージで掴んで耐えようとするもガスの消耗は著しく、アルヴァレスが遂に左脚を跨いでハーフポジションへのパスに成功します!
アルヴァレスは続き右腕のクロスフェイスで更に安生を削り込み、左脚も抜いてマウントポジションへのパスにも成功します。
最後はアルヴァレスがバックマウントから安生の右手首を左腕で対角リストコントロールし、完全捕縛からのパウンド連打で見事なタップアウトを奪いました!
勝者 ショーン・アルヴァレス
34:26 バックマウント&対角リストコントロールからのパウンド連打
実に34分を超える心身を削り合う神経戦、両者のMMAグラップリングが鍔迫り合う試合となりました!
アルヴァレスの捕獲による「休憩」を効果的に挟んで長期戦に競り勝つ様は、粗削りながらも「グレイシー柔術」のヴァーリトゥード必勝スタイルを踏襲していることを感じましたね~。
安生も「打撃フェイント&レベルチェンジからのテイクダウン」「バタフライガードからのスイープ」「腕フレームによるケージ際のテイクダウン防御」と、随所にMMAとして地に足の着いた的確な技術対処がみられました!
両者ともガードポジションから反撃を魅せ、ケージファイティングも魅せてくれ、更には「ケージ掴みOKルール」を存分に活かしてTDの防御やTDへの導線を行っていてと、観どころの多い試合でしたね~。
本大会において、この試合が文句なしのベストファイトとだと思います!(グレート!!)
第8試合(トリプルメインイベントⅢ)
『THE "U"-JAPAN』アルティメットルール(無差別級&無制限1R)
vs.
レオポルド (28歳 185cm/123kg ヘビー級相当)
ビゲロー (35歳 195cm/165kg ヘビー級相当)
※ビゲローのみシューズとニーパッドを着用。両者グローブを未着用。
※ビゲローはシングレットを着用。
レオポルドは『UFC 3』でヴァーリトゥードに初出場し、三連覇を狙うホイス・グレイシーと準々決勝で熱戦を展開し一躍注目の選手となりました。
ハワイ出身でレスリングのルーツを持つレオポルドは、1994年から来日し、日本でもその実力を如何なく発揮して当代ヴァーリトゥードの象徴の一人となっていました。
ビゲローは日本で「クラッシャー・バンバン・ビガロ」の名をとったプロレスリング選手で、その巨躯を活かして「WWF(現WWE)」や「新日本プロレスリング」など国際的に活躍をみせていました。
本大会は自身初めてのヴァーリトゥード挑戦であり、"ビッグ・ヴァン・ヴェイダー"レオン・ホワイトの欠場をうけて、代役という形でレオポルドとのメインイベントに臨みました。
試合開始と同時に間合いを詰めたレオポルドがビゲローの左前脚へ低空シングルレッグで組み付き、アンクルピックで崩して一発でTDに成功します。
レオポルドはそのまま50/50クリンチで体重を浴びせてハーフポジションに移行し、すぐさまマウントへパスしてケージ際でビゲローの押さえ込みに成功します。
ビゲローはボトムからヘッドロックでレオポルドの動きを封じようとしますが、レオポルドは右前腕のフレームを顎下に指して突き放し、これを振りほどきポスチャーを維持します。
ここから、なんとレオポルドは右腕でケージを掴み、マウントポジションのバランスを確保した状態から左腕パウンドをビゲローの顔面へ撃ち込み一気にダメージを与えていきます。
ビゲローはクリンチで苦境を耐えようとしますが、レオポルドは今度は左腕でケージを掴み、右前腕フレームで再びビゲローをピンしてパウンドの体勢へと押し戻します。
レオポルドはケージを左右の腕で持ち替えながらビゲローの巨躯をコントロールし、残ったもう片腕で左右からパウンドの絨毯爆撃を仕掛けます!
最後はレオポルドがパウンドのダメージでうつ伏せになったビゲローをバックマウントで捕らえ、裸絞めを極めてタップアウトさせて勝利しました!
勝者 キモ・レオポルド
2:15 裸絞め
当代ヴァーリトゥードの象徴であったレオポルドが、ビゲローの巨躯を見事にコントロールし、ワンサイドの完全支配でメインイベントに勝利しました!
フェイントから鮮やかに低空レベルチェンジでTDし、一切の緩みなく、ミスなく一つ一つ道を進んでのパーフェクトゲーム…熟練の業を魅せてもらいましたね~✨
特筆すべきは、「ケージ掴みOKルール」を完璧に活かしたマウントコントロールでしょう!
「片腕でケージを掴み、もう片腕でパウンド」という攻撃は、マウントポジションの安全性を高めつつ相手の反撃を封じ、一方的にダメージを与え続けられるという非常に効果的で強力な攻撃でした…!
残念ながら現在のMMAルールでは観ることが出来ない攻撃であり、当代きっての名選手であったレオポルドだからこそ観せてくれた、MMAの歴史に残るオーパーツではないかと思います!!
代役という形で未知のヴァーリトゥードへと挑戦したビゲロー、先の松永と同様に、格上との一戦だけでMMAキャリアが終わってしまったことは残念でなりませんね~(泣)
相手がレオポルドであったことを差し引いても経験不足であったことは否めず、その巨躯をヴァーリトゥードでどうのように活かしてスタイルが作れたのか…その片鱗を観てみたかったです!
#4 おわりに
『THE "U"-JAPAN』の紹介でした~!
「オクタゴン」と「アルティメット」、MMAの祖であるヴァーリトゥードを象徴とする二つの要素が、日本で初めて一つになって開催されたのが本大会でした。
翌1997年には『PRIDE 1』が開催され、『UFC JAPAN』も初来日を果たします。
まさにヴァーリトゥードが日本で燦然と開花していった時代、その直前に『THE "U"-JAPAN』は開催されました。
そのような背景をみれば、『THE "U"-JAPAN』は海外で興った初期「U大会」への純粋なる探求心が、日本で形になった最後の大会であったともいえるでしょう。
歴史にIFは起こり得ませんが、『THR "U"-JAPAN』が1997年にも開催されていたとしたら、もしかすると『PRIDE』や『UFC JAPAN』との新旧時代のヴァーリトゥードが重なり合う瞬間があったかもしれないですし…そのコントラストも観てみたかったな~と思うのでした!
同時に、純正の最初期アルティメットルールを踏襲した本大会を観たことは、「ルールが闘い方を決める」というMMAの原則にも立ち返ることができたな~と感じます。
現在のMMA統一ルールもまだまだ未完成という感じですけれども、失われたオーパーツの技術を観ることで、途上の道のりも振り返ることができたと思います!
『THE "U"-JAPAN』の、そして日本ヴァーリトゥード史における再発見の一助になれれば幸いです✨