UFCファイトパスに各プロモーションごとの個別ページが遂に出来ましたね~!(嬉)
旧バージョンから現在のバージョンに移行した際に個別ページが消えてしまっていたのですけれども、今回の更新によって各プロモーションの歴史を辿り易くなったと感じます!
一方で、個別ページが出来ていないプロモーションもチラホラあるな~…と感じます。特に、日本の修斗の個別ページが無いのがとても勿体ない!
ファイトパスには修斗の大会めっちゃあるのにな~…(´;ω;`)
というわけで、今回はファイトパスで観れる修斗の大会を一覧にしてみました!
同時に今年は修斗が初めて大会を開催してから35周年という事で、歴史を振り返るつもりで色々な出来事をざっくりと載せてみました~ノシ
動画のみ知りたい方は、アーカイブのリンクに飛ぶとすぐに観れます!
※ただし記載しているのはPC用のリンクなので、スマホでは観れないと思います;
それではどうぞ~ノシ✨
- 1986年~1993年
- 1994年~1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2012年
- 2013年
- 2014年
- 2015年
- 2016年
- 2017年
- 2018年~2021年
- 【おわりに】
1986年~1993年
【修斗の創立~アマチュアからプロへ、組織編制の変遷】
1986年6月30日、初の修斗大会である『第1回プリ・シューティング大会』が開催された。プリ・シューティングとは修斗のプロ選手「シューター(修士)」を育成する為のアマチュア大会であり、第1~第3クールは公開試合、第4~第5クールは非公開試合として行われた。
第2回プリ・シューティング大会『シューティング・セカンドクール』からは、直系12mの8角形の特製リング(シューティングリング)が試合場として特設された。場外転落防止の為にセーフティーゾーンが設けられるなど、先駆的な試みが取られていた。
1987年3月に、初代「修斗協会(World Shooto Association/WSA、後の日本修斗協会/JSA)」が創立。創立当時の修斗協会は外務大臣を顧問に、住職を会長に招聘していた。
初代修斗協会の人事は以下の通り。
会長 篠原大雄(大雄承忍 永源寺派 第12代管長)
理事長 佐山聡(修斗創始者 株式会社スーパー・タイガー 代表取締役)
幹事長 中出忠宣(株式会社スーパー・タイガー 取締役)
越智康仁(康仁クリニック 院長)
有賀義光(株式会社マルアニットスポーツ 代表取締役)
胡井啓作(下関体育センター株式会社 代表取締役)
吉田正道(鎌倉建長僧堂師家)
1988年9月11日、『プリ・シューティング大会 第6クール』からは再び公開試合として開催された。同大会では修斗協会の新会長である浦田雄現(浦田昇)が宣誓を行った。第7クールが終了した後、1988年12月8日に初代シューター(修士)として16名が認定された。
1989年2月26日、『プリ・シューティング大会 第8クール』において、それまで着用されたフェイスガード(プロテクトマスク)を廃止。プロ選手を「クラスA」、アマチュア選手を「クラスB」とし、1989年5月18日、念願の修斗プロ大会『プロフェッショナル・シューティング第1戦 クラスA 初代チャンピオン・シリーズⅠ』が初開催された。
1990年1月13日の『初代チャンピオン・シリーズⅣ』からは、特設の8角形リング(シューティングリング)の使用が中止*1された。
【修斗ルールの創立と変遷】
創立当初の修斗ルールはおおまかに以下の通り。
①試合時間:3分×3ラウンド(チャンピオンシップは3分×5ラウンド)
②階級:
ヘビー級 +92kg
ジュニアヘビー級 -92kg (後にヘビー級が+82kgに変更され、ジュニアヘビー級は廃止された。)
ライトヘビー級 -82kg
ミドル級 -74kg
ウェルター級 -68kg
ライト級 -62kg
フェザー級 -57kg (後にバンタム級(-54kg)が加えられた。)
③服装:オープンフィンガーグローブを着用。また脛同士の接触による骨折を防ぐキックプロテクター(レガース)を着用し、さらにキックプロテクターのズレを防ぐ為にロングタイツ等を着用する。
④立技のルール:10カウントの3ノックダウン制を採用。
⑤組技、寝技のルール:
創立当時は投げの完成度ごとに3種類の制限時間が設けられていた。(リミットタイム制)
リミットタイム制の制限時間は以下の通り。 後に廃止され、レフェリーブレイク制に改正された。
ロー・ポイント (「バランスを崩した」等、投げ技でない倒れ方) 3秒間のみ
ミドル・ポイント(「技あり」判定の投げ技でテイクダウンを獲った場合) 20秒間
ハイ・ポイント (「一本」判定の投げ技でテイクダウンを獲った場合) 30秒間(後に25秒間に変更)
また、サブミッションを獲った場合には制限時間が延長される。
キャッチ (サブミッションを仕掛けている場合) 20秒間延長
オール・モースト (サブミッションが極まった場合) 一本 or 外れるまで無制限に延長
その他に、ヒップスクート・ポジション(いわゆる猪木アリ・ポジション)の場合、立っている選手が挙手をする事でレフェリーがブレイク&寝ている側が立技に戻る「グラップリング逃避権」が認められていた。
⑥反則:肘打ち、関節蹴り、寝技状態でのパウンド、踏み付け、サッカーキック、寝ている相手へ飛びかかる攻撃、等が反則とされた。ただし、片膝立ちの相手にサッカーキックを放つ事は認められていた。
⑦判定:基本的には3名のジャッジによる1ラウンド10ポイント減点式で採点。ただし、修斗では「打投極」を如何にジャッジするかを試行錯誤し、実験的な試みが行われた。おおまかな内容は以下の通り。
1968年6月30日 プリ・シューティング大会 第1クール
「打撃、投げ、極め」それぞれを5ポイントから減点式で判定する。
1987年9月13日 プリ・シューティング大会 第3クール
「打撃、極め」を10ポイント減点式で判定し、「投げ」を最大8ポイントまで加点。
1992年11月27日 プロフェッショナル・シューティング第21戦
3名の「打撃、投げ、極め」専門ジャッジが各部門を判定。
【修斗チャンピオンシップ開催~王座認定の遍歴】
1990年5月12日、『プロフェッショナル・シューティング第6戦』メインイベントで修斗初代ミドル級王座認定戦(関島康人 vs. 石川義将)が行われ、勝利した関島康人が初の修斗王者に認定された。
「王座認定戦」とは現在のチャンピオンシップ制とは異なり、「王座獲得の資格を得たランキング1位の「認定者」が勝利した場合のみ、王座が認定される」という特別な形式であった。
そのため、同大会のコ・メインで行われていた修斗初代ウェルター級王座認定戦(渡部優一 vs. 伊藤裕二)では伊藤裕二が勝利したものの、認定者が渡部優一であったため伊藤裕二は王座を認定されなかった。
1996年までに「王座認定戦」として行われた修斗チャンピオンシップは以下の通り。
1990年5月12日 プロフェッショナル・シューティング第6戦 -初代チャンピオン認定戦 Ⅰ-
認定者の関島康人が石川義将に勝利してミドル級初代王座が認定。
【ミドル級(-74kg)初代王者】 関島康人
【ウェルター級(-68kg)初代王者】 認定なし
7月7日 プロフェッショナル・シューティング第7戦 -初代チャンピオン認定戦 Ⅱ-
【ライト級(-62kg)初代王者】 認定なし
両者は9月8日の王座決定戦で再戦、田中健一がライト級初代王座に認定。
【ライト級(-62kg)初代王者】 田中健一
11月28日 プロフェッショナル・シューティング第9戦
大原友則が認定者の草柳和宏に勝利したため再び認定されず。
【ウェルター級(-68kg)初代王者】 認定なし
1991年3月29日 プロフェッショナル・シューティング第11戦
認定者の渡部優一が草柳和宏に勝利して遂にウェルター級初代王座が認定。
5月31日 プロフェッショナル・シューティング第12戦
認定者の川口健次が山田学に勝利してライトヘビー初代王座に認定。
【ライトヘビー級(-82kg)初代王者】 川口健次
修斗の初代チャンピオンベルトは「トロフィーを掴んだ獅子と月桂樹」があしらわれたベルトで、1998年以降に新ベルトに移行するまで修斗王者に授与された。現在はパシフィックリム(環太平洋)王座のベルトとして授与されている。
【USA修斗の伝来~シューティング国際戦の遍歴】
1993年6月24日、『プロフェッショナル・シューティング第24戦』にて、2名のアメリカ人選手(エリック・ポールソン*2とチャド・スタヘルスキ)が出場した。2名は日本に来日した初の修斗国際選手であった。
2名はアメリカの「USA修斗(Shooto Association USA)」出身。USA修斗は、修斗創設期をインストラクターとして支えた「シューティスト(修斗最高修行者)」中村頼永が1988年に渡米し、現地のダン・イノサント派ジークンドーと交流を深める中で創立された最初の修斗国際組織であった。
1993年6月24日 プロフェッショナル・シューティング第24戦
山田学 def. チャド・スタヘルスキ
エリック・ポールソン def. 草柳和宏
1994年~1996年
【ヴァーリ・トゥードとブラジリアン柔術の伝来~~新ルール移行期の変遷①】
1994年7月29日、『ヴァーリ・トゥード 1994 ジャパン・オープン(VTJ'94)』が開催。
本大会は元々、1993年9月30日に開催された『シューティング 第1回 オープン・トーナメント』の第2大会として予定されていた。しかし、1993年11月12日に開催された『UFC 1 -ザ・ビギニング-』の影響を受けて招聘したヒクソン・グレイシーとの話し合いの末に、ブラジル発祥の「ヴァーリ・トゥード(Vale Tudo、VT、全てが有効となる)」を修斗が独自にアレンジしたVTルールで開催される事となった。
修斗が採用したVTルールのおおまかな内容は以下の通り。なお、VTJは初期の2年間はトーナメント形式であったが、1996年からトーナメント形式は廃止された。
①試合時間:VTJ'94 8分×2ラウンド トーナメント決勝戦のみ8分×無制限ラウンドで行われた。
VTJ'95 8分×無制限ラウンド すべての試合が無制限ラウンドで行われた。
VTJ'96 8分×3ラウンド メインイベントのみ無制限ラウンドで行われた。
VTJ'97~'99 8分×3ラウンド すべての試合が3ラウンドで行われた。
②階級:VTJ'94~'95 すべての試合がフリー・ウェイト(無差別級)で行われた。
VTJ'96~'99 フリー・ウェイトまたはキャッチウェイトで、個々に体重契約が行われた。
③服装:オープンフィンガーグローブを着用。マウスピースとファールカップは任意で着用できる。キックプロテクターは着用しないが、膝当てや脛当ては任意で着用できる。
④立技のルール:10カウントのフリー・ノックダウン制を採用。
⑤寝技のルール:寝技は時間制限なし。寝技でも「頭突き」と「頭部への肘打ち」以外の全ての打撃攻撃が可能。リングの場外に出てしまわないように、レフェリーが両選手をリング中央に移動させて同じポジションから再開させる「ストップ&ドントムーブ制」を採用。リング外に選手が落ちてしまった場合、相手選手がコーナーに戻ってから10カウント以内にリング内に戻れなければ失格となる。
⑥反則:目突き(アイポーク)、噛みつき、金的、頭突き、頭部への肘打ち、脊椎への攻撃、リング外への逃亡、等が反則とされた。
⑦判定:判定は無し。ラウンド制の試合であった場合は引き分けとなる。
【ゼネラル・スタイルとフリー・スタイル~新ルール移行期の変遷②】
1994年前後にかけては修斗がVTのパウンド、ブラジリアン柔術の寝技に適応するために新ルール作成を目指し始めた時代である。
まずVTJ'94が開催する以前に、1994年1月14日の『プロフェッショナル・シューティング第27戦』から約2年ほど判定にブラジリアン柔術のポイント制を踏襲した「組技の追加ポイント制」が採用された。これは従来の3人のジャッジによる10ポイント減点式の判定を「打撃ポイント」に特化し、加えて組技および寝技の攻撃を「組技ポイント」で追加点として加えるというものであった。
組技ポイントのおおまかな配点は以下の通りである。
組技ポイント +3ポイント ・マウントポジション ・技を極めて「キャッチ」コールを受ける
+2ポイント ・ボトムポジション(クローズドガード) ・「一本」判定の投げ
+1ポイント ・トップポジション ・「技あり」判定の投げ
また、同大会では修斗で初となる寝技状態の相手への打撃(腹部への踏み付け)も試験的に採用された。
VTJ'94開催後の1994年9月26日、『プロフェッショナル・シューティング第30戦 ヴァーリトゥード・アクセス Ⅰ』では修斗大会内にて実験的にVTルールの試合(中井祐樹 vs. アルトゥール・カチャージ、8分×3ラウンド)が行れた。
さらに、同年11月7日の『プロフェッショナル・シューティング第31戦 ヴァーリトゥード・アクセス Ⅱ』には従来のノックダウン制×パウンド禁止×寝技制限時間制という伝統的な修斗ルールを「ゼネラル・スタイル(General Style)」と銘打ち、パウンド解禁×寝技無制限のVTルールを「フリー・スタイル(Free Style、本大会のみ4分×4ラウンド、のちに8分×3ラウンド)」と銘打ち新たに採用した。
【「ノックダウン制×パウンド解禁」…修斗ルールが完成~新ルール移行期の変遷③】
1995年6月4日、『横浜フリー・ファイト』にてゼネラル・スタイルにもパウンドが採用された。
1995年7月29日、『プロフェッショナル・シューティング第35戦 ヴァーリトゥード・コンプリート・アクセス』では、落下防止用のネットが張られた8角形ロープリングが試験的に採用された。
1995年9月26日、『プロフェッショナル・シューティング第36戦 ヴァーリトゥード・パーセプション』では、ゼネラル・スタイルの正装であるキックプロテクターの着用が終了。
1996年1月20日、『プロフェッショナル修斗 1996年第1戦 ヴァーリトゥード・ジャンクションⅠ』において、修斗は『対パウンド』『対ブラジリアン柔術』を目指した新ルールへと本格的に以降した。
1994年から3年の移行期を経て完成した「修斗ルール」は、VTの特徴であるパウンドと寝技のポジショニングを重視しつつ、ノックダウン制度はそのまま残された。
「3ノックダウン制×パウンド&寝技制限時間の解禁」というこの修斗ルールは、2008年から大幅なルール改正が行われるまでの10余年間、修斗を象徴するルールとして広く普及し、認知されることとなった。
【アマチュア部門「クラスC」の設立~ルール改正の変遷】
1995年6月4日、『横浜フリー・ファイト』にて新たなアマチュア部門「クラスC(アマチュア、3分×2ラウンド)」が採用された。クラスCの設立によって、それまでアマチュア部門であったクラスBはクラスAと共にプロ部門に組み込まれた。
上述した同大会での「初のパウンド解禁」の試合とは、クラスCの試合を除いた「クラスB/ゼネラル・スタイル」の2試合の事である。
【修斗コミッション創立~組織編制の変遷】
1996年5月7日、「修斗コミッション(現、インターナショナル修斗コミッション、ISC)」が創立された。修斗コミッションは修斗協会が担っていたランキング制定&王座認定を引き継ぎ、修斗の統括機関としてプロ&アマチュア修斗ライセンスの発行、ルールの制定等を執り行う事となった。大会を主催するプロモーションは、修斗コミッションの認定した選手(シューター)およびコーナーマンにより、コミッション制定の修斗ルールの下で大会を開催する事となった。
初代修斗コミッションの人事は以下の通り。
事務局長 鈴木利治
審判部 審判長 小方康至
【フリー・スタイル初の王座認定~王座認定戦の遍歴】
修斗の新ルールであるフリー・スタイルを採用した初の大会で、VTルールでの活躍をみせた中井祐樹が「認定者」となり王座認定戦が行われた。対戦者には階級上のミドル級2位、草柳和宏が選ばれ、中井祐樹が勝利して新王者に認定された。
1994年11月7日 プロフェッショナル・シューティング ヴァーリトゥード・アクセス Ⅱ
認定者の中井祐樹が草柳和宏に勝利してウェルター級第3代王座に認定。
【修斗で初の国際王者が誕生~修斗国際戦の遍歴】
1994年のVTJ’94の開催を経て、国際選手の修斗への出場はより活発化した。
1995年からは『UFC 2-ノー・ウェイ・アウト-』準優勝者のレムコ・パドゥールを筆頭に、オランダから多くの選手が修斗に出場した。また、オーストラリアやブラジルからも出場選手が増え、1997年以降の国際的な展開へと繋がっていった。
1996年5月7日、『ヴァーリ・トゥード・ジャンクション Ⅲ』にて修斗ライトヘビー級チャンピオンシップ(川口健次 vs. エリック・ポールソン)が行われ、挑戦者のエリック・ポールソンが勝利。エリック・ポールソンはUSA修斗出身のアメリカ人選手として、初の修斗国際王者に認定された。
1994年9月26日 ヴァーリトゥード・アクセス Ⅰ
修斗大会内にて実験的にVTルール(8分×3ラウンド)の試合が行われた。
中井祐樹 draw アルトゥール・カチャージ
1995年7月29日 ヴァーリ・トゥード・アクセス Ⅲ
レムコ・パドゥールの推薦により、二名のオランダ選手が初出場。
桜田直樹 def. モーリス・ルーミンパー
坂本一弘 def. イムレ・ハーフェンドーン
1995年7月29日 ヴァーリ・トゥード・コンプリート・アクセス
修斗で初の国際選手同士の試合が行われた。
エリック・ポールソン def. ベン・スパイカース
カール・フランクス ---- レムコ・パドゥール (無効試合*3)
同大会では、オーストラリア選手が修斗に初出場。
朝日愼一(朝日昇) def. レオニード・ザフラフスキー
1996年3月5日 ヴァーリ・トゥード・ジャンクション Ⅱ
同大会では、ブラジル選手が修斗に初出場。
朝日愼一(朝日昇) def. リアンドロ・リマ・ジ・アゼヴェド
5月7日 ヴァーリ・トゥード・ジャンクション Ⅲ
エリック・ポールソン def. 川口健次
【ライトヘビー級(-82kg)第2代王者】 エリック・ポールソン
エリック・ポールソンが初の修斗国際王者に認定。
【1994~1996年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
1994年7月29日 東京ベイNKホール
『ヴァーリ・トゥード 1994 ジャパン・オープン(VTJ'94)』
ヒクソン・グレイシー vs. バド・スミス ほか
1995年4月20日 日本武道館
『ヴァーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップ Ⅱ 1995 ジャパン・オープン(VTJ'95)』
ヒクソン・グレイシー vs. 中井祐樹 ほか
1997年
【修斗ヘビー級王座認定~最後の王座認定戦】
修斗やVTJで活躍をみせたエンセン井上が「認定者」となり、井上に勝利経歴のあるジョー・エステスとのヘビー級王座認定戦が行われた。井上は勝利して新王者に認定。
この試合が最後の「王座認定戦」となった。
1997年10月12日 プロフェッショナル修斗 第47戦 レコンキスタ Ⅳ
認定者のエンセン井上がジョー・エステスに勝利してヘビー級初代王座に認定。
【ヘビー級(+85kg)初代王者】 エンセン井上
【5分×3ラウンド制へ~ルール改正の変遷】
1997年4月6日、『プロフェッショナル修斗 レコンキスタ Ⅱ』からルールが改正され、ラウンドごとの制限時間が5分間となった。
クラスA 5分×3ラウンド (2ラウンド戦も可)
クラスB 5分×2ラウンド
クラスC 3分×2ラウンド
この改正を受けて、チャンピオンシップも従来の5ラウンド制から3ラウンド制に改正された。
【1997年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
1997年6月25日 北沢タウンホール
1997年8月27日 後楽園ホール
1997年10月12日 後楽園ホール
1997年11月29日 東京ベイNKホール
『ヴァーリ・トゥード・ジャパン 1997 ファイナル・レコンキスタ(VTJ'97)』
フランク・シャムロック vs. エンセン井上 ほか
1998年
【日本修斗協会が設立へ~組織編制の変遷】
1998年9月、「日本修斗協会(JSA)」の設立が発表された。修斗の元選手および修斗オフィシャルジムの代表による選手組織として、修斗オフィシャルジム(加盟ジム)の登録および加盟サークルの設立を行い、修斗コミッションからアマチュア修斗大会の開催を引き継ぐ事となった。翌年の1999年に正式に設立。
JSA設立時の人事はおおまかに以下の通り。
会長 桜田直樹(ガッツマン・プロモーション代表)
理事 川口健次 草柳和宏 田中健一 坂本一弘 朝日愼一(朝日昇) 中井祐樹
会計 北森代紀
最高顧問 佐山聡(修斗創始者)
相談役 木口宣昭 鈴木康男 石川義将
【修斗階級の改正①~ルール改正の変遷】
本年4月から、修斗の一部の階級で契約体重が改正された。
改正後の契約体重は以下の通り。()は改正前の契約体重。
ヘビー級 +85kg (+82kg)
ライトヘビー級 -85kg (-82kg)
ミドル級 -76kg (-74kg)
ウェルター級 -69kg (-68kg)
ライト級 -63kg (-62kg)
フェザー級 -58kg (-57kg)
バンタム級 -54kg (-54kg、変更なし)
フライ級 -50kg (新設)
また、本年から修斗のチャンピオンベルトに「オ・ヘイ・ド・シュウト(O Rei Do Shooto、ポルトガル語で「修斗の王者」の意)」の文字をあしらった新しいベルトが採用された(現在の世界王座のベルト)。エンセン井上と 桜井”マッハ”速人が先んじてベルトを授与され、その後は宇野薫、アレシャンドリ・フランサ・ノゲイラ、須田匡昇がそれぞれ新ベルトを授与された。
【1998年の国際大会の遍歴】
1998年4月25日 スーパー・ブロウル 7
グアムで開催された8人制ワンデイ・トーナメントで修斗の選手が優勝。
【スーパー・ブロウル ライト級(-165lbs)優勝】 加藤鉄史
【1998年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
1998年1月17日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 第48戦 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅰ』*5
朝日愼一(朝日昇) vs. デニス・ホール ほか
1998年3月1日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 第49戦 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅱ』
佐藤留美奈(佐藤ルミナ) vs. ジョエル・ジェルソン ほか
1998年4月10日 北沢タウンホール
1998年5月13日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 第51戦 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅲ』
1998年7月29日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅳ』
桜井”マッハ”速人 vs. ロニー・リヴァーノ ほか
1998年8月29日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅴ』
エリック・ポールソン vs. 須田匡昇 ほか
1998年9月18日 北沢タウンホール
中尾受太郎 vs. 田中幸一(レッド・スレイヤーズ・ガイ) ほか
1998年10月25日 東京ベイNKホール
『ヴァーリ・トゥード・ジャパン 1998(VTJ'98)』*7
エンセン井上 vs. ランディ・クートゥア ほか
1998年11月27日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 ラス・グランデス・ヴィアヘス Ⅵ』
巽宇宙 vs. エリック・ペイン ほか
1999年
【株式会社サステインの設立~オフィシャルジム大会の活性化】
本年4月1日に、修斗プロモーション「株式会社サステイン(Sustain Co., Ltd.)」が設立。
株式会社 サステイン*8(Sustain Co., Ltd.)
代表:坂本一弘(サステイン社長、プロモーター)
サステインは本年5月27日、『修斗 ザ・ルナクシス 10周年記念大会』から修斗の大会を主催していく事となった。また、修斗コミッションからライセンス認定を受けた修斗オフィシャル・プロモーター(修斗オフィシャル・ジム代表)により、修斗の地区大会も本格的に開催し始めた。
修斗を主催したプロモーションの変遷はおおまかに以下の通り。
1987年3月~ 日本修斗協会 (株)サトル興行
(株)スーパー・タイガー
~1996年7月 (株)日本プロ・シューティング
1996年9月~1999年1月 (株)ワールド修斗
1999年3月~2002年5月 (有)イーフォース・ジャパン、(株)サステイン、各修斗プロモーター
2002年6月~現在 (株)サステイン、各修斗プロモーター
サステインおよび修斗オフィシャル・プロモーター主催の修斗地区大会はおおまかに以下の通り。
北海道地方 バトル・ミックス(Battle Mix、北海道)
修斗 ギグ・ノース(Shooto Gig North、北海道)
東北地方 修斗 グランツ(Shooto Grantz、青森、福島)
スピリット(SPIRIT、宮城)
関東地方 下北沢修斗劇場(しもきたざわ しゅうと げきじょう、東京 下北沢)
修斗 ギグ・イースト(Shooto Gig East、東京 下北沢)
シューティング・ディスコ(Shooting Disco、東京 新宿)
修斗 ギグ・トーキョー(Shhoto Gig Tokyo、東京 新宿)
龍争虎闘(りゅうそうことう 東京 下北沢)
修斗 ギグ・サイタマ(Shooto Gig Saitama、埼玉)
中部地方 修斗 ギグ・セントラル(Shooto Gig Central、愛知 名古屋)
越後風神祭り(えちご ふうじん まつり、新潟)
関西地方 修斗 ギグ・ウェスト(Shooto Gig West、大阪)
修斗 ボーダー(Shooto BORDER、大阪)
中国地方 グラップリング・マン 闘裸男(とらお、Grappling Man Torao、岡山、広島、山口)
修斗 ギグ・カガワ(Shhoto Gig Kagawa、香川)
グラップリング・マン 闘裸男(徳島)
九州地方 グラップリング・マン 闘裸男(福岡)
トリロジー(TRILOGY、福岡)
沖縄地方 斬 修斗沖縄(The Shooto Okinawa、沖縄)
【1999年の国際大会の遍歴】
1999年5月23日 修斗 -アルティメット・マーシャルアーツ・トーナメント-
オーストラリアで初の修斗国際大会が開催。
代表:ジョン・ドナヒュー(John Donehue、オーストラリア(AUS)修斗プロモーター)
ラリー・パパドポロス(Larry Papadopouls、AUS修斗協会 会長)
6月1日 スーパー・ブロウル12
ハワイ州でスーパー・ブロウル(SB)と修斗が初の修斗アメリカ大会を共催。*9
代表:T・ジェイ・トンプソン(T.Jay Thompson、SBプロモーター)
【1999年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
1999年1月15日 後楽園ホール
佐藤留美奈(佐藤ルミナ) vs. チャールズ・ディアズ ほか
1999年1月27日 北沢タウンホール
大河内衛 vs. 植松直哉 ほか
1999年3月28日 後楽園ホール
朝日愼一(朝日昇) vs. 巽宇宙 ほか
1999年4月9日 北沢タウンホール
植松直哉 vs. エリック・ペイン ほか
1999年7月16日 後楽園ホール
桜井”マッハ”速人 vs. ブラッド・エアド ほか
1999年8月4日 北沢タウンホール
伊藤武則 vs. 阿部和也 ほか
1999年12月11日 東京ベイNKホール
桜井”マッハ”速人 vs. アロウド・ヴィクトリアーノ・ブーン ほか
2000年
【2000年の国際大会の遍歴】
2000年10月29日 修斗オランダ -ナイト・オブ・ウォリアーズ Ⅰ-
オランダで初の修斗ヨーロッパ大会が開催。
代表:マルタイン・デ・ヨン(Martijn de Jong、ヨーロッパ修斗 会長)
デ・ヨンは修斗協会の依頼を受け。2000年にヨーロッパ修斗の代表に就任。
ヨーロッパ修斗の普及に努めたヨーロッパMMAの第一人者である。*12
ラフレス・ラ・ロース(Rafles La Rose、NLD修斗コミッショナー)
2000年11月18日 フックンシュート -フュージョン-
インディアナ州でフックンシュート(HnS)と修斗が初の修斗北アメリカ大会を共催。
代表:ジェフ・オズボーン(Jeff Osborne、HnSプロモーター)
ミゲル・イトゥラテ(Miguel Iturrate、HnSマッチメイカー)
【2000年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2000年3月17日 後楽園ホール
桜井"マッハ"速人 vs. 加藤鉄史 ほか
2000年4月12日 北沢タウンホール
秋本仁(秋元じん) vs. グレッグ・パイパー ほか
2000年5月22日 後楽園ホール
2000年7月16日 後楽園ホール
植松直哉 vs. ジョーイ・ギルバート ほか
2000年7月22日 北沢タウンホール
2000年8月4日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
2000年8月27日 横浜文化体育館
アレシャンドリ・フランサ・ノゲイラ vs. 巽宇宙 Ⅱ ほか
2000年10月9日 北沢タウンホール
池本誠知 vs. ダミアン・リチオ ほか
2000年11月12日 後楽園ホール
2000年12月17日 東京ベイNKホール
2001年
【修斗階級の改正②~ルール改正の変遷】
本年4月1日から、修斗の階級が大幅に新設および改正された。
同年4月8日の『ワナ 修斗 2001』で正式な改正が行われるのに先んじて、本年は1月から新たな階級に合わせたキャッチウェイト戦が各大会で行われた。
改正された新階級の契約体重は以下の通り。()は改正前の契約体重。
スーパーヘビー級 +110kg (新設)
ヘビー級 -110kg (+85kg)
クルーザー級 -91kg (新設)
ライトヘビー級 -83kg (-85kg)
ミドル級 -76kg (-76kg、変更なし)
ウェルター級 -70kg (-69kg)
ライト級 -65kg (-63kg)
フェザー級 -60kg (-58kg)
バンタム級 -56kg (-54kg)
フライ級 -52kg (-50kg)
ストロー級 -48kg (新設)
ミニマム級 -44kg (新設)
【2001年の国際大会の遍歴】
【2001年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2001年1月19日 後楽園ホール
植松直哉 vs. マイク・カルドーソ ほか
2001年2月18日 NGKスタジオ
『 修斗 ギグ・ウェスト 1』
池本誠知 vs. 大河内貴之 ほか
2001年3月2日 後楽園ホール
山口守(マモル) vs. ジウド・リマ ほか
2001年3月21日 北沢タウンホール
吉岡広明 vs. 秋本仁(秋元じん)
2001年4月8日 北沢タウンホール
勝村周一朗 vs. ライアン・ディアズ/鶴屋浩 vs. キム・メイソン ほか
2001年5月1日 後楽園ホール
2001年6月14日 北沢タウンホール
2001年6月30日 北沢タウンホール
中山巧(タクミ) vs. チャーリー・ピアソン ほか
2001年7月6日 後楽園ホール
バレット・ヨシダ vs. 戸井田克也(戸井田カツヤ) ほか
2001年8月26日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第1競技場
桜井”マッハ”速人 vs. アンデウソン・シウヴァ ほか
2001年9月2日 後楽園ホール
アレシャンドリ・フランサ・ノゲイラ vs. 勝田哲夫 Ⅱ ほか
2001年9月23日 NGKスタジオ
村濱哲晴(村浜天晴) vs. 杉江“アマゾン”大輔 ほか
2001年9月27日 北沢タウンホール
和田拓也 vs. ジェイ・バック ほか
2001年10月23日 北沢タウンホール
松根良太 vs. 高橋大児 ほか
2001年11月25日 ディファ有明
大石真丈 vs. 山口守(マモル) ほか
2001年12月16日 東京ベイNKホール
『プロフェッショナル修斗 トゥ・ザ・トップ ファイナル・アクト』
2002年
【修斗の女子部門が活性化~女子大会も開催】
2002年2月28日、『修斗 ギグ・イースト 8』にて、修斗で初のプロ女子試合(星野育蒔 vs. 尾上佳子)が行われた。続く4月14日、『ワナ 修斗 2002』でも2回目の女子試合(マルース・クーネン vs. 石原美和子)が行われた。
2002年4月13日、『フックンシュート -レヴォリューション-』においては全てのカードが女子試合という修斗ルールの「女子大会」も開催された。
【修斗グラップリング設立、等々~ルール改正の変遷】
2002年8月9日、「修斗グラップリング」ルールが制定され、アマチュア修斗で開催されていた非公式のグラップリング試合が公式戦として行える事となった。ルールはアマチュア修斗を基本的に踏襲しつつ、ギ(ジャケット、柔術着あり)とノーギ(ネイキッド、柔術着なし)の2部門でポイント制の寝技ルールが採用された。
同年8月27日の「修斗 ギグ・イースト 10」からは、修斗内外に関わらず頭部へのダメージを負った選手に45~90日間(原則60日間)の試合出場停止を命ずるルールが採用された。
また、同月には修斗現役王者が原則として1年以内にランキング1位の選手との防衛戦(指名試合)を義務とするルールも採用された。
【2002年の国際大会の遍歴】
2002年4月13日 フックンシュート -レヴォリューション-
インディアナ州で全てのカードが女子試合である修斗女子大会が初開催。
6月30日 修斗ブラジル 1(初代)
代表:トニコ・ジュニオール(Toniko Júnior、ブラジル修斗代表)
代表:マルコ・レイステン(Marko Leistén、フィンランド修斗代表)
レイステンはVT時代から「FinnFight」を開催してきた北欧MMAの先駆者。
スカンジナビア修斗の代表に就任し、北欧MMAの第一人者となった。
代表:リッチ・サントロ(Rich Santro、USA修斗コミッショナー)
ランディ・エリクソン(Randy Erickson、USA修斗制作総指揮)
10月26日 アイアンハート・クラウン 5 -トリビュレ―ション-
インディアナ州でアイアンハート・クラウン(IHC)と修斗が修斗大会を共催。
代表:エリック・ムーン(Eric Moon、IHCプロモーター)
ブラウリオ・コラル(Braulio Corral、IHC共同プロモーター)。
12月7日 修斗ハワイ -アルファ-
代表:レイ・クーパーJr.(Ray Cooper Jr.、合同会社レインブレッド(LB)代表)
モニカ・カマカ=クーパー夫人(Monica Kamaka-Cooper、LB共同代表)
【2002年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2002年1月12日 後楽園ホール
ランス・”フィアレス”・ギブソン Sr. vs. 須田匡昇 ほか
2002年1月25日 北沢タウンホール
八隅孝平 vs. ヘンリー・マタモロス ほか
2002年2月11日 神戸ファッションマート アトリウムプラザ
三島睦智(三島ド根性ノ助) vs. ベン・トーマス ほか
2002年3月15日 後楽園ホール
マルシオ・”クロマド”・ハモス・バルボーザ vs. ライアン・ボウ(雷暗暴) ほか
2002年3月31日 名古屋市公会堂
植松直哉 vs. 井上和浩 ほか
2002年4月21日 北沢タウンホール
山崎剛 vs. 川尻達也 ほか
2002年5月5日 後楽園ホール
ステファン・パーリング vs. 山本“KID”徳郁 ほか
2002年6月29日 金岡公園体育館
五味隆典 vs. レオナルド・サントス ほか
2002年7月19日 後楽園ホール
2002年9月16日 横浜文化体育館
大石真丈 vs. 池田久雄 Ⅲ ほか
2002年10月6日 名古屋市公会堂
吉岡広明 vs. 野中公人 ほか
2002年10月 27日 NGKスタジオ
川尻達也 vs. 尾松賢 ほか
2002年11月15日 後楽園ホール
2002年12月14日 東京ベイNKホール
『プロフェッショナル修斗 イヤー・エンド・ショー 2002』*20
五味隆典 vs. 三島睦智(三島ド根性ノ助) ほか
2003年
【インターナショナル修斗コミッション設立~2003年の国際大会の遍歴】
2003年1月1日、インターナショナル修斗コミッション(ISC)が正式に設立。1999年から国際的に発展してきた修斗における新たな取り組みとして、新たに3つの「地区ランキング」および「地区王座」を制定、現状のランキングと王座を「世界ランキング」および「世界王座」と銘打つ国際構造を作り上げた。
制定初期の3つの地区王座のおおまかな加盟国は以下の通りである。
①修斗アメリカス(南北米大陸)王座 アメリカ*21 カナダ ブラジル カリブ海諸島
②修斗ヨーロピアン(欧州)王座 オランダ スカンジナビア バルト 欧州国
③修斗パシフィックリム(環太平洋)王座 日本 オーストラリア ハワイ州 アメリカ西海岸*22
2003年、地区王座制定後の修斗のおもな国際遍歴は以下の通り。
2003年5月9日 スーパー・ブロウル 29
【ライトヘビー級(-83kg)修斗世界&SBダブル王者】 須田匡昇
ラトビアでリトアニア武士道連盟(LBF)が修斗バルト大会を初開催。
代表:ドナタス・シマナイティス(Donatas Simanaitis、LBF代表)
シマナイティスはバルティック修斗の代表に就任し、修斗バルトの第一人者となった。
11月14日 修斗リトアニア -武士道カラリウス 1-*23
リトアニアでリトアニア武士道協会(LBF)が母国で修斗大会を初開催。
11月14日 修斗 ウォリアー・スピリット -エヴォリューション-
代表:バリー・メイヤー(Barry Meyer、TnN代表)
【2003年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2003年1月24日 後楽園ホール
2003年2月23日 後楽園ホール
五味隆典 vs. ニック・アートル ほか
2003年3月30日 名古屋市公会堂
杉江“アマゾン”大輔 vs. 大河内貴之 ほか
2003年5月4日 後楽園ホール
2003年5月30日 北沢タウンホール
川尻達也 vs. 中山巧(タクミ) Ⅱ ほか
2003年6月27日 広島サンプラザ
佐藤留美奈(佐藤ルミナ) vs. ライアン・アッカーマン ほか
2003年7月13日 後楽園ホール
中尾受太郎 vs. サウリ・ヘイリモ ほか
2003年8月10日 横浜文化体育館
2003年9月5日 後楽園ホール
山本“KID”徳郁 vs. ケイレブ・ミッチェル ほか
2003年9月21日 名古屋市国際展示場 第2展示館
2003年10月12日 NGKスタジオ
池本誠知 vs. 徳岡靖之(男!徳岡) ほか
2003年10月31日 北沢タウンホール
生駒純司 vs. 廣野剛康 ほか
2003年11月3日 後楽園ホール
2003年11月25日 北沢タウンホール
三上洋平 vs. 外薗晶敏 ほか
2003年12月14日 東京ベイNKホール
『プロフェッショナル修斗 イヤー・エンド・ショー 2003』
ヨアキム・ハンセン vs. ヴィトー・”シャオリン”・ヒベイロ ほか
2004年
【修斗女子部門「G-修斗」が設立~ルール改正の変遷】
2004年11月26日、『G-修斗 ジャパン 1 -始動-』が開催された。同大会は8月に設立された修斗の女子専門部門「G-修斗(ジー・シュウト、G- Shooto)」の第1大会であった。G-修斗ではプロ選手(クラスA、クラスB)とアマチュア選手(クラスC)の中間にあたるセミプロ選手「クラスC+」という新しいクラスが設けられた。
また、アマチュア修斗(クラスC)の前身となっていた非公式試合が「クラスD」と称され、フリー・ファイト大会を中心に活性化し始めた。
【2004年の国際大会の遍歴】
2004年、修斗のおもな国際遍歴は以下の通り。
2004年1月2日 リアリティ・サブミッション・ファイティング -修斗チャレンジ 2-
イリノイ州でRSFと修斗が2回目の修斗フロリダ大会を共催。*24
初代アメリカス王座決定トーナメント準々決勝が4階級で開催されるも、後に中止。
代表:ランディ・グリーンマン(Randy Greenman、RSF代表)。
2月1日 ヴァイキング・ファイト 4 -チャンピオンズ・ナイト-
デンマークでヴァイキング・ファイトと修斗が初の修斗デンマーク大会を共催。
代表:ブライアン・タラレク(Brian Talarek、VF代表)
2月27日 修斗スイス 1
スイスで初の修斗スイス大会が開催。
代表:アウグスト・フロタ(Augusto Frota、スイス修斗代表)*25
7月9日 修斗 ソルジャー・ファイト・ナイト
【世界ミドル級(-76kg)第6代世界王者】 ジェイク・シールズ
【世界ライトヘビー級(-83kg)世界王座防衛】 須田匡昇
7月23日 ワールド・フリースタイル・ファイティング 7 -プロフェッショナル修斗-
代表:デヴィッド・リー(David Lea、WFF代表)
ジェイソン・タウンズ(Jason Towns、WFF社長)
ヨーロッパ修斗のビッグ3*26によるヨーロッパ修斗の発展に向けた会合が行われた。
11月6日 フックンシュート -エヴォリューション-
【2004年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2004年1月24日 後楽園ホール
2004年3月22日 後楽園ホール
2004年3月28日 名古屋市公会堂
ライアン・ボウ(雷暗暴) vs. 杉江“アマゾン”大輔 ほか
2004年4月11日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
中山巧(タクミ) vs. 中蔵隆志 ほか
2004年4月16日 北沢タウンホール
2004年5月3日 後楽園ホール
2004年6月27日 千葉ブルーフィールド(2AWスクエア)
松根良太 vs. ダニエル・”リトル・デビル”・リマ ほか
2004年7月4日 北沢タウンホール
八隅孝平 vs. 福本洋一(福本よう一) ほか
2004年7月9日 ニール・ショウ・ブレイズデル・アリーナ
ジェイク・シールズ vs. レイ・クーパー Ⅱ ほか
2004年7月16日 後楽園ホール
漆谷康宏 vs. 生駒純司 ほか
2004年9月26日 後楽園ホール
山口守(マモル) vs. ホブソン・モウラ ほか
2004年10月17日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
2004年11月12日 後楽園ホール
2005年
【修斗パシフィックリム初代王座認定~トーナメントの遍歴】
2003年に制定された修斗の3つの地区王座から、すべての地区で初の王者が誕生した。
修斗パシフィックリム(環太平洋)王座は2階級で王座決定トーナメント決勝戦が行われ、優勝者2名(ウェルター級 朴光哲、ライト級 佐藤留美奈(佐藤ルミナ))にはパシフィックリム王座として1990年から続く伝統的な旧ベルトが引き継がれた。
修斗パシフィックリム2階級の初代王座決定トーナメントの遍歴は以下の通り。
2004年1月24日 プロフェッショナル修斗 Ⅰ 2004
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準々決勝が2試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準々決勝 朴光哲 def. 八隅孝平
ライト級(-65kg) 準々決勝 石川真 def. 勝田哲夫
3月28日 修斗 ギグ・セントラル 5
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準々決勝が2試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準々決勝 ライアン・ボウ def. 杉江“アマゾン”大輔
4月11日 プロフェッショナル修斗 Ⅳ 2004
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準々決勝が2試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準々決勝 中山巧(タクミ) def. 中蔵隆志
4月16日 下北沢修斗劇場 8 ~熱中時代・稽古編~』
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準々決勝が1試合行われた。
ライト級(-65kg) 準々決勝 戸井田克也 def. 小倉淳
5月3日 プロフェッショナル修斗 Ⅴ 2004
日本でパシフィック初代王座決定トーナメント準々決勝が2試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準々決勝 村濱哲晴 def. 冨樫健一郎
7月9日 修斗 ソルジャー・ファイト・ナイト
ハワイ州でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準々決勝が1試合行われた。
ライト級(-65kg) 準々決勝 佐藤留美奈 def. バオ・クアッチ
7月16日 プロフェッショナル修斗 Ⅵ 2004
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準決勝が1試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準決勝 ライアン・ボウ def. 中山巧(タクミ)
ライト級(-65kg) 準々決勝 イアン・シャファー def. 井上和浩(不戦勝)*29
9月26日 プロフェッショナル修斗 Ⅶ 2004
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準決勝が1試合行われた。
ウェルター級(-70kg)準決勝 朴光哲 def. 村濱哲晴
12月14日 プロフェッショナル修斗 Ⅸ 2004 -15周年記念大会-
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント準決勝が1試合行われた。
ライト級(-70kg) 準決勝 佐藤留美奈 def. 戸井田克也
ライト級(-65kg) 準決勝 石川真 def. イアン・シャファー (不戦勝)*30
2005年1月19日 プロフェッショナル修斗 Ⅰ 2005
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント決勝戦が1試合行われた。
ウェルター級(-70kg)決勝 朴光哲 def. ライアン・ボウ
【ウェルター級(-70kg)パシフィックリム初代王者】 朴光哲
3月11日 プロフェッショナル修斗 Ⅱ 2005
日本でパシフィックリム初代王座決定トーナメント決勝戦が1試合行われた。
ライト級(-65kg) 決勝 佐藤留美奈 def. 石川真
【ウェルター級(-65kg)パシフィックリム初代王者】 佐藤留美奈(佐藤ルミナ)
【修斗ヨーロピアン&アメリカス初代王座認定~2005年の国際大会の遍歴】
代表:パトリック・ムーニー(Patrick Mooney、アイルランド修斗代表)
ムーニーはMMA統一ルールを採用した「Cage Wars」の主催者でもある。
スウェーデン大会で初の修斗ヨーロピアン初代王者が3名認定された。
【ライトヘビー級(-83kg)初代王者】 ダヴィッド・ビエルクヘーデン
【ミドル級(-76kg)初代王者】 デヴィッド・バロン
【ウェルター級(-70kg)初代王者】 ヤニ・ラックス
4月2日 フックンシュート -ザ・リターン-
【ライトヘビー級(-83kg)初代王者】 認定なし*31
【ウェルター級(-76kg)初代王者】 ジェシアス・”JZ”・カヴァウカンチ
11月19日 アイアンハート・クラウン 9 -パーガトリー-
【ライト級(-65kg)初代王者】 ジェフ・カラン
12月3日 修斗ブラジル 9(初代)
ブラジルでブラジル修斗(初代)体制による最後の修斗大会が開催。
ベルギーで初の修斗ベルギー大会が開催。
代表:ルドヴィック・ボウル=ヴィン(Ludovic Boul-Vin、ベルギー修斗代表)
【2005年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2005年1月19日 後楽園ホール
2005年2月6日 北沢タウンホール
岡田孔明 vs. 遠藤雄介 ほか
2005年3月27日 名古屋市公会堂
ジョー・ピアソン vs. 日沖発 ほか
2005年4月23日 博多スターレーン
川尻達也 vs. ヤニ・ラックス ほか
2005年5月8日 後楽園ホール
ギルバート・メレンデス vs. 植松直哉 ほか
2005年5月11日 Zepp Nagoya
2005年5月15日 キングムー
亘理崇麿 vs. 加藤紳(加藤”JET”シン) ほか
手塚豊 vs. 岡田剛史 ほか
2005年5月29日 北沢タウンホール
石井武広(タイガー石井) vs. 澤田健壱 ほか
2005年6月3日 北沢タウンホール
2005年7月3日 吹上ホール
杉江“アマゾン”大輔 vs. カルター・"ブラックマンバ"・ギル ほか
2005年8月20日 横浜文化体育館
ギルバート・メレンデス vs. 佐藤留美奈(佐藤ルミナ) ほか
2005年10月28日 北沢タウンホール
余膳正志 vs. 村山暁洋
2005年11月6日 後楽園ホール
2005年11月13日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
原弘文 vs. 杉浦"C坊主"博純 ほか
2005年12月17日 新宿Face
高橋大児 vs. 山口守(マモル) ほか
2006年
【「アルティメット・グローリー」創立~2006年の国際大会の遍歴】
2006年9月7日、『アルティメット・グローリー』第1大会がオランダで初開催された。後に『グローリー』と名称を変えた同プロモーションは、ヨーロッパ修斗の筆頭マルタイン・デ・ヨンとオランダの最大手格闘チーム「ゴールデン・グローリー」が提携して共催され、キックボクシングの試合と修斗ルールによるMMAの試合が並行して行われた。同プロモーションは後に2012年に設立するメジャー・キックボクシング大会『グローリー・キックボクシング』の前身となったプロモーションでもある。
2006年3月10日 K-1 東ヨーロッパ MAX 2006 グランプリ
リトアニアでリトアニア武士道協会がK-1大会内で修斗ヨーロピアン王座戦を開催。
【クルーザー級(-91kg)初代王者】 ケストゥティス・スミルノヴァス
4月22日 アブソリュート・ファイティング・チャンピオンシップ 16
【ライトヘビー級(-83kg)第4代世界王者】 山下志功
4月29日 修斗スペイン オンブレス・デ・オノール 1
スペインの修斗国際大会「オンブレス・デ・オノール*38(HDH)」が初開催。
HDHはスペインで100大会以上開催されている修斗由来の老舗プロモーション。
代表:アレハンドロ・イグレシアス(Alejandro Iglesias、スペイン修斗代表)
ベラルーシでリトアニア武士道連盟(LBF)が修斗ベラルーシ大会を初開催。
7月22日 修斗イタリア -プロフェッショナル・ミックス・ファイト-
イタリアで修斗イタリア大会が初開催。
代表:フィリッポ・レオーネ(Filippo Leone、イタリア修斗代表)
9月17日 アルティメット・グローリー 1
オランダでゴールデン・グローリーとヨーロッパ修斗が新大会を初開催。
12月2日 修斗ブラジル 1(2代目)
ブラジルで新体制となった修斗ブラジル第1大会が開催。
代表:アンドレ・ペデルネイラス(Andre Pederneiras、ブラジル修斗代表’(2代目))
【2006年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2006年2月17日 国立代々木競技場 第2体育館
2006年2月26日 Zepp Nagoya
日沖発 vs. バオ・クアッチ ほか
2006年3月3日 北沢タウンホール
赤木敏倫 vs. 塩田”GOZO”歩 ほか
2006年3月24日 後楽園ホール
山口守(マモル) vs. 小島伸一(BJ) ほか
2006年5月12日 後楽園ホール
井上武(リオン武) vs. アントニオ・カルヴァーリョ Ⅱ ほか
2006年5月28日 北沢タウンホール
廣野剛康 vs. 下川雄生 ほか
2006年7月21日 後楽園ホール
2006年9月8日 後楽園ホール
山口守(マモル) vs. エリカス・スースロヴァス ほか
2006年11月10日 後楽園ホール
尾田天慶(不死身夜天慶) vs. 戸井田克也(戸井田カツヤ) ほか
2006年10月14日 パシフィコ横浜 国立大ホール
川尻達也 vs. ペル・エクルンド ほか
2007年
【修斗アメリカス王座が廃止、南アメリカ王座制定へ~2007年の国際大会の遍歴】
2005年12月4日の『修斗ブラジル 9』を開催した後に、トニコ・ジュニオールを代表とする初代ブラジル修斗が活動を停止。2006年12月2日からアンドレ・"デデ"・ペデルネイラスがブラジル修斗の新代表となり、新たに『修斗ブラジル 1』と銘打ち活動を再開した。
2007年8月18日、カリフォルニア州で開催された『ウォリアーズ・カップ 3』の修斗ルール大会を最後に、アメリカで修斗ルールの大会は開催されなくなった。
同年12月を以て修斗アメリカス王座は廃止され、新たに修斗ブラジルを中心とした「修斗南アメリカ(南米大陸)王座」が制定された。
代表:ルボミル・ゲジェフ(Lubomir Guedjev、ブルガリア修斗代表)
ディミタル・ストヤノフ(Dimitar Stoyanov、ブルガリア修斗事務局長)
エストニアでリトアニア武士道連盟(LBF)が修斗エストニア大会を初開催。
8月18日 ウォリアーズ・カップ 3 -アライバル ディス・イズ・シュート-
カリフォルニア州でアメリカにおける最後の修斗ルールでの大会*42が開催。
代表:ジェイソン・マンリー(Jason Manly、ウォリアーズ・カップ代表)
フィンランドで修斗ヨーロピアン王座戦を開催し、新階級の王者が認定。
【ライト級(-65kg)初代王者】 ダヴィッド・レイエネス
12月15日 修斗ベルギー -エンカウンター・ザ・ブレイヴス-
ベルギーで修斗ヨーロピアン王座決定戦が行われ、新王者が認定。
【ウェルター級(-70kg)第2代王者】 ベンディ・カジミール
【ミドル級(-76kg)第2代王者】 デヴィッド・バロン
【2007年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2007年2月17日 パシフィコ横浜 国立大ホール
2007年3月16日 後楽園ホール
小島伸一(BJ) vs. 漆谷康宏 Ⅱ ほか
2007年5月18日 後楽園ホール
2007年6月30日 北沢タウンホール
三木龍一(神酒龍一) vs. 塙真一 ほか
2007年7月15日 後楽園ホール
山下志功 vs. シアー・バハドゥルザダ ほか
2007年10月8日 名古屋国際会議場 イベントホール
日沖発 vs. キム・ジョンマン ほか
2007年10月20日 新宿Face
『シューティング・ディスコ 3 ~エブリバディ・ファイト・ナウ~』
正城悠樹(正城ユウキ) vs. 生駒純司 ほか
2007年11月8日 国立代々木競技場 第2体育館
戸井田克也(戸井田カツヤ) vs. 井上武(リオン武) ほか
2008年
【後頭部への打撃を禁止~ルール改正の遍歴】
本年6月1日にISC修斗ルール改正が発表され、同年9月1日から「グラウンド状態での後頭部への打撃」が禁止された。後頭部への攻撃は海外の修斗コミッションでは認可されず、日本でのみ解禁された状態となってしまっていた為、海外との差異を無くす為、また安全性も考慮して禁止となった。「ファウル」の項目に新たに追加された。
【修斗南アメリカ初代王座が認定~2008年の国際大会の遍歴】
2008年3月29日 修斗ポーランド -ポーリッシュ 修斗リーグ ファースト・エディション-
代表:マルチン・"キムラ"・ビハルスキ(Marcin 'Kimura' Blicharski、ポーランド修斗代表)
ロシアでアクション・フォース・スポーツクラブと修斗がロシア大会を初共催。
4月19日 修斗ブラジル 6(2代目)
ブラジルで南アメリカ王座決定戦が行われ、初の南アメリカ王者が認定。
【ウェルター級(-70kg)新王者】 ヴィラミー・"シケリム"
11月19日 グローリー 10 -バトル・オブ・アーネム-
【ヘビー(-110kg)初代王者】 ディオン・スターリン
11月29日 修斗ブラジル 9(2代目)
ブラジルで南アメリカ初代王座決定戦行われ、初代王者5名が認定。
【ライトヘビー級(-83kg)初代王者】 アンドレ・"シャトゥバ"
【ミドル級(-76kg)初代王者】 イゴール・"シャトゥビーニャ"
【ライト級(-65kg)初代王者】 ヘナン・"バラオン"
【フェザー級(-60kg)初代王者】 エドゥアルド・ダンタス
【バンタム級(-56kg)初代王者】 ジュシー・"フォルミーガ"
12月6日 フィンファイト 10
フィンランドで修斗ヨーロピアン王座決定戦を行い、新王者が認定。
【ライトヘビー級(-83kg)第2代王者】 サウリ・ヘイリモ
【2008年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2008年3月28日 後楽園ホール
2008年7月18日 後楽園ホール
小島伸一(BJ) vs. 山口守(マモル) Ⅲ ほか
2008年9月28日 後楽園ホール
上田将勝 vs. マルコス・"ロロ"・ガウヴァオン ほか
2008年10月5日 新宿Face
三木龍一(神酒龍一) vs. 秋本仁(秋元じん) ほか
2008年10月13日 北沢タウンホール
生駒純司 vs. 下川雄生 ほか
2008年10月26日 東海テレビ テレピアホール
新美吉太郎 vs. ゼイヴィア・ルーカス ほか
2008年11月29日 後楽園ホール
2009年
【「ノックダウン制」の廃止~ルール改正の変遷】
2009年1月1日から「10カウントのダウン制」が廃止された。欧州修斗コミッションにより改正が提案され、脳へのダメージ蓄積など安全性を考慮して廃止となった。「ノック・ダウン」の章が削除された。
【VTJが10年越しの開催~ルール改編の変遷②】
2009年10月30日、『ヴァーリ・トゥード・ジャパン 2009(VTJ'09)』にて10年越しにVTJ大会が開催された。基本的には修斗ルールを踏襲しながらも、試合時間や契約体重をアメリカの統一MMAルールに準拠し、寝技での打撃攻撃のうち膝蹴りと踏み付けが許可された。
①試合時間:5分×3ラウンド(5ラウンド)
③服装:オープンフィンガーグローブを着用。
④立技のルール:ダウン制が廃止。
⑤寝技のルール:寝技状態の相手への膝蹴り、踏み付けが許可された。
⑥反則:修斗ルールでの反則事項に準拠(寝技での膝蹴りと踏み付けを除く)
⑦判定:3名のジャッジによる1ラウンド10ポイント減点式で採点。
【ブラジルで世界王座戦が初開催~2009年の国際大会の遍歴】
2009年8月27日 修斗ブラジル 13
ブラジルで初の修斗世界王座決定戦が行われ、王者バハドゥルザダが初防衛に成功。
【ライトヘビー級(-83kg)世界王座防衛】 シアー・バハドゥルザダ
フィンランドで修斗ヨーロピアン王座決定戦が行われ、新王者が認定。
【ライト級(-65kg)第2代王者】 マテウス・ラーデスマキ
【2009年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2009年1月18日 ディファ有明
遠藤雄介 vs. 朴光哲 ほか
2009年1月31日 新宿Face
三木龍一(神酒龍一) vs. 久保山誉 ほか
2009年2月28日 新宿Face
2009年3月20日 後楽園ホール
小島伸一(BJ) vs. 正城悠樹(正城ユウキ) ほか
2009年4月10日 新宿Face
『シューティング・ディスコ 8 ~ウィー・アー・ターザン!~』
服部謙一 vs. 柴博 ほか
2009年4月19日 新宿Face
碓氷早矢手 vs. 田村一聖 ほか
2009年5月17日 広島県立広島産業会館 西第1展示場
伊藤一宏 vs. 尾崎大海 ほか
2009年5月20日 北沢タウンホール
春崎武裕 vs. 阿部博之 ほか
2009年5月24日 仙台アクセルホール(夢メッセみやぎ 西館ホール)
亘理崇麿 vs. 安永有希 ほか
2009年6月6日 新宿Face
2009年6月7日 Zepp Sapporo
高橋大児 vs. 森卓也 ほか
2009年7月19日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 レヴォリューショナリー・エクスチェンジス Ⅰ』
2009年9月22日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 レヴォリューショナリー・エクスチェンジス Ⅱ』
遠藤雄介 vs. 朴光哲 Ⅱ ほか
2009年10月18日 新宿Face
岡嵜康悦 vs. 扇久保博正 ほか
2009年10月30日 ミーツポート JCBホール(TDCホール)
五味隆典 vs. トニー・ハーヴィー ほか
2009年11月23日 ミーツポート JCBホール(TDCホール)
『プロフェッショナル修斗 レヴォリューショナリー・エクスチェンジス Ⅲ』
田原伸平(田原しんぺー) vs. ランバー ・ソムデート・”M16” Ⅱ ほか
2009年12月13日 新宿Face
ガイ・デルモ vs. マテウス・イリエ・ネキオ ほか
2010年
【グローリー&ブラジル修斗の発展~2010年の国際大会の遍歴】
2010年9月17日、『修斗ブラジル 18』において、修斗ヘビー級(-100kg)南アメリカ初代王座決定戦が行われた。これはISCの制定した修斗の階級にはない南アメリカ王座による独自の階級であった。
同年10月26日は、『グローリー -キックボクシング & MMA ワールド・シリーズ 2010-2011-』にて年を跨いだ国際トーナメントが開催。デ・ヨン体制のグローリーの中で最大規模となった大会であり、MMA部門でヨーロッパ修斗ルールによる試合が行われた。
2010年1月24日 修斗ドイツ ジャーマン・ヴァーリ・トゥード -コンテンダーズ Ⅰ-
ドイツで修斗ドイツ大会が初開催。
代表:ピーター・アンゲラー・レンシ(Peter Angerer Renshi、ドイツ修斗代表)*44
3月19日 修斗ブラジル 15
ブラジルで修斗世界王者と修斗ヨーロピアン王者の王者対決が行われた。
ヴィラミー・"シケリム" def. マテウス・ラーデスマキ (判定)
8月6日 修斗ブラジル 17
ブラジルで初の世界王者バハドゥルザダが二度目の王座防衛に成功。
【ライトヘビー級(-83kg)世界王座防衛】 シアー・バハドゥルザダ
9月17日 修斗ブラジル 18
ブラジル修斗が独自にヘビー級(-100kg)で王座決定戦を行った。
【ヘビー級(-100kg)初代王者】"グート・イノセンチ"
10月16日 グローリー -キックボクシング & MMA ワールド・シリーズ 2010-2011-
オランダでグローリーによるK-1&MMAトーナメント大会が開催。
修斗ミドル級(-76kg)でMMA国際トーナメント準々決勝が行われた。
トミー・デュ・プレ def. ダヴィッド・ビエルクヘーデン
シアー・バハドゥルザダ def. デリック・ノーブル
ジョン・アレッシオ def. セルゲイ・ゴリャエフ
ホアン・カルネイロ def. ルイス・ハモス
10月17日 修斗ブラジル 19
ブラジルでフライ級南アメリカ初代王座決定トーナメントが開催。
【準々決勝】
リンコン・ジ・サ def. ジャン・ブイウ
"マイコン"・ウィリアム def. ペドロ・マスコッチ
エヴァンドロ・"ブリリャンチ" def. アレックス・パルダル
【準決勝】
"マイコン"・ウィリアム def. エヴァンドロ・"ブリリャンチ"
12月20日 修斗ブラジル 20
ブラジルでフライ級南アメリカ初代王座決定トーナメント優勝者が認定。
【フライ級(-52kg)初代王座】 リンコン・ジ・サ
【2010年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2010年1月23日 後楽園ホール
2010年2月27日 新宿Face
伊藤淳二(猿丸ジュンジ) vs. 吉岡広明 ほか
2010年3月22日 後楽園ホール
2010年4月24日 新宿Face
北原史寛 vs. 菅原雅顕 ほか
2010年5月30日 ミーツポート JCBホール(TDCホール)
2010年6月6日 新宿Face
『シューティング・ディスコ 12 ~スタンド・バイ・ミー~』
田澤聡 vs. 松本輝之 ほか
2010年6月13日 Zepp Nagoya
杉江"アマゾン"大輔 vs. 佐々木信治 ほか
2010年7月19日 後楽園ホール
ランバー ・ソムデート・”M16” vs. 阿部博之 ほか
2010年9月23日 後楽園ホール
勝村周一朗 vs. ダレン・ウエノヤマ ほか
2010年9月26日 阿倍野区民センター 大ホール
佐々木信治 vs. 中山巧(タクミ) ほか
2010年12月18日 新宿Face
2011年
【日本修斗協会が解散、ISCの管轄下へ~組織編成の変遷】
2011年8月5日、インターナショナル修斗コミッション(ISC)により日本修斗協会(JSA)の役員会が解散された。浦田昇ISCコミッショナーはJSA会長を兼任する形でJSAを管轄下に置き、ISCおよびISCの組織再編成が図られる事となった。
この組織再編成は2010年12月23日の『第8回 東日本アマチュア修斗オープン・トーナメント』終了後、当時のJSA理事に会計報告が求められた事を発端に、7ヶ月を経て修斗創始者の佐山聡と浦田昇ISCコミッショナーの2名によって最終決定が成されたものであった。
【南アメリカ王座の階級が統一MMAルールに準拠~2011年の国際大会の遍歴】
2011年3月31日、『修斗ブラジル 22』にて修斗ライトヘビー級(-90kg)南アメリカ初代王座決定戦が行われた。これは、昨年のヘビー級(-100kg)に続いて修斗南アメリカ王座だけに独自に作られた階級の王座であった。これを機に、修斗南アメリカ王座はISCの定めた階級名称ではなく、アメリカ統一MMAルールに近い階級名に一括で準拠していく事となった。
2011年3月19日 グローリー -キックボクシング & MMA ワールド・シリーズ 2010-2011-
ベルギーでグローリーによるK-1&MMAトーナメント大会が開催。
修斗ミドル級(-76kg)でMMA国際トーナメント準決勝が行われた。
トミー・デュ・プレ def. ホアン・カルネイロ
シアー・バハドゥルザダ def. ジョン・アレッシオ
3月31日 修斗ブラジル 22
ブラジル修斗が独自にライトビー級(-90kg)で王座決定戦を行った。
【ライトヘビー級(-90kg)初代王者】ホニー・マルキス
5月28日 グローリー -キックボクシング & MMA ワールド・シリーズ 2010-2011-
ロシアでグローリーによるK-1&MMAトーナメント大会が開催。
修斗ミドル級(-76kg)でMMA国際トーナメント決勝戦が行われた。
シアー・バハドゥルザダ def. トミー・デュ・プレ
【グローリー・ワールド・シリーズ王者】 シアー・バハドゥルザダ
1日目はルールのミーティング、2日目に試合が行われた。
代表:ネクタリオス・リキャルドポロス(Nektarios Lykiardopoulos、修斗ヘラス*45代表)
パナイオティス・ツェレンティス(Panagiotis Tselentis、修斗ヘラス共同代表)
ラリー・パパドポロス(Larry Papadopouls、修斗ヘラス特別顧問*46)
【2011年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2011年1月10日 後楽園ホール
佐々木信治 vs. 児山佳宏 Ⅱ ほか
2011年2月26日 新宿Face
2011年4月1日 新宿Face
『プロフェッショナル修斗 シューターズ・レガシー Ⅱ』 *47
清水清隆 vs. 小堂準也(KODO) ほか
2011年4月29日 ミーツポート TDCホール
2011年5月28日 新宿Face
冨樫健一郎 vs. 小知和晋 ほか
2011年6月5日 阿倍野区民センター 大ホール
梶田高裕 vs. 柴博 Ⅱ ほか
2011年6月11日 新宿Face
2011年7月18日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 シューターズ・レガシー Ⅲ』 *50
2011年8月6日 新宿Face
2011年9月23日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 シューターズ・レガシー Ⅳ』*52
児山佳宏 vs. 冨樫健一郎 ほか
2012年
【修斗の一般社団法人化~組織編成の変遷】
2012年10月1日、修斗が「日本修斗協会(JSA)」として任意団体から一般社団法人化。JSA会長による理事会を設置し、別組織であった「インターナショナル修斗コミッション(ISC)」コミッショナーをJSA会長が兼任する形で一括化。「審判部」、「プロモーター会議」、「アマチュア修斗委員会」を組織下に置く事で修斗組織を再編成した。
【アマチュア修斗の再編成~ルール改正の変遷①】
2012年2月1日、アマチュア修斗についての大幅な再編成が行われた。
修斗で行われてきた「非公式戦」の開催が一律禁止となり、それに伴い2000年前期よりクラスCの前身として非公式で行われていた「クラスD」が廃止された。
また、「修斗グラップリング」「修斗ストライキング」等のMMA以外のルールも廃止となり、グラップリングにおいては「闘裸男(とらお)」の闘裸男寝試合(TNSグラップリング)等、各プロモーターがJSA管轄外で主催して行われる事となった。「ジュニア修斗」も時期尚早であるとしてJSA公式戦としては行われなくなった。
【統一MMAルール&ケージリングの「新生VTJ」が初開催~ルール改正の変遷②】
2012年12月24日、「ヴァーリ・トゥード・ジャパン」が新生し、『VTJ 1st』として開催された。
新生VTJはアメリカの「統一MMAルール&ケージリング」ルールへの適応を試す舞台として、修斗選手を中心にプロモーションの垣根を越えて選手を招聘。
国内チャンピオン同士による「5分×5ラウンド戦」を行う等、意欲的な試みをみせた。
【CABMMA創立~2012の国際大会の遍歴】
2012年に「ブラジルMMAアスレチック委員会(CABMMA)」が創立し、同年1月14日の『UFC 142 -アルド vs. メンデス-』にて大会の規制および認可を行った。UFCの南アメリカ進出とCABMMAの創立によってブラジルにもMMA統一ルールの普及は進み、ブラジル修斗においても統一ルールに近い契約体重で各階級の試合が行われるようになった。
【2012年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2012年5月18日 後楽園ホール
弘中邦佳 vs. ジョヴァニ・ジニス ほか
2012年7月16日 後楽園ホール
2012年9月30日 後楽園ホール
山上幹臣 vs. 伊藤淳二(猿丸ジュンジ) ほか
2012年12月15日
小野島恒太 vs. 山本賢治 ほか
2012年12月24日 国立代々木競技場 第2体育館
『VTJ 1st』
2013年
【チャンピオンシップが5分×5ラウンドに~ルール改正の変遷】
本年1月1日に修斗ルールが改正され、チャンピオンシップの試合時間が5分×5ラウンドへと改められた。
クラスA 5分×5ラウンド (2~5ラウンド戦すべて可)
クラスB 5分×3ラウンド (2~3ラウンド戦が可)
クラスC 5分×2ラウンド
ルール改正を受けて各クラスの試合時間も変更。同時にアマチュア部門であったクラスCが新たにプロ部門に組み込まれ、「プロ修斗(クラスA、B、C)」と「アマチュア修斗」という区切りが明確になった。
【ブラジル修斗が統一MMAルール&ケージ採用へ~2013年の国際大会の遍歴】
2015年8月25日、『修斗ブラジル 42 -ファイト・フォー・B.O.P.E 3*54-』にて、修斗ミドル級(-77kg)世界王座決定戦が行われた。この試合は修斗の規定体重(-76kg)ではなく、統一MMAルールの規定体重にて行われた。
同年11月24日、『修斗ブラジル 44』にて、ブラジル修斗は試合場に8角形ケージリングを採用。ここからブラジル修斗は「MMA統一ルール&ケージリング」を採用していく事となった。
一方、11月30日の「ジャッジメント・デイ Ⅱ -カシュトロップ・オン・ファイア-」では、修斗のルールに準拠した修斗ドイツ大会が開催。修斗ドイツ王座決定戦(決定トーナメント決勝戦)が開催され、5名の修斗キングス王者(ドイツ王者)が誕生した。
2013年8月25日 修斗ブラジル 42 -ファイト・フォー・B.O.P.E 3-
【ウェルター級(-77kg)第10代世界王者】 エルナニ・ペルペトゥオ
11月24日 修斗ブラジル 44
ブラジルでブラジル修斗初のケージ大会が開催。
11月30日 ジャッジメント・ナイト Ⅱ -カシュトロップ・オン・ファイア-
ドイツで修斗ドイツ王座決定戦が行われ、5階級で初代王者が認定。
【ウェルター級(-70kg)初代王者】 マーク・ベッカー
【フライ級(-61kg)初代王者】 シュテファン・ホス
【ミドル級(-76kg)初代王者】 マリオ・シュタペル
【ライト級(-65kg)初代王者】 ニコラス・ジャンバー
【2013年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2013年1月20日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 Ⅰ 2013 環太平洋ダブル・チャンピオンシップ』
鈴木徹(徹肌ィ郎) vs. 佐々木佑太(佐々木憂流迦) ほか
2013年3月16日 後楽園ホール
2013年6月22日 ミーツポート JCBホール(TDCホール)
『VTJ 2nd』
2013年7月27日 後楽園ホール
三木龍一(神酒龍一) vs. 猿田洋祐(飛猿No.2) ほか
2013年9月29日 後楽園ホール
弘中邦佳 vs. 児山佳宏 Ⅱ ほか
2013年10月5日 大田区総合体育館
『VTJ 3rd』
藤井恵 vs. ジェシカ・アギラー Ⅱ ほか
2013年11月9日 後楽園ホール
三木龍一(神酒龍一) vs. 猿田洋祐(飛猿No.2) Ⅱ ほか
2014年
【ドイツ生まれの「修斗キングス」初開催~2014年の国際大会の遍歴】
2014年5月3日、ドイツ修斗の新プロモーション『修斗キングス Ⅰ -一番!-』が初開催された。「修斗キングス」は修斗の階級&ルールによって試合を行い、大会の進行も修斗の全選手入場を再現するなど、修斗との強い繋がりを感じさせるプロモーションとなった。日本からも修斗選手が出場を果たし、ドイツ修斗代表のピーター・アンゲラー・レンシ本人が試合を行う等独自の展開もみせていた。
「修斗キングス」ではドイツ国内の修斗王座である「修斗ドイツ王座(修斗キングス王座)」を懸けたチャンピオンシップが行われた。修斗ドイツ王座のチャンピオンベルトには「オ・ヘイ・ド・シュウト・ナ・アレマーニャ(O Rei Do Shooto Na Alemanha、ポルトガル語で「ドイツの修斗王者」という意味)」という文字が刻まれており、修斗世界チャンピオンベルトを踏襲したデザインであった。
2014年5月3日 修斗キングス Ⅰ -一番!-
ドイツでドイツ修斗の専門プロモーションが初開催。
修斗ドイツ王座決定戦が行われ、新階級で初代王者が認定された。
【ライトヘビー級(-83kg)初代王者】 アルトヨム・クノール
【2014年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2014年1月13日 後楽園ホール
室伏伸哉(室伏シンヤ) vs. 伊藤淳二(猿丸ジュンジ) ほか
2014年2月23日 大田区総合体育館
『VTJ 4th』
高谷裕之 vs. 内村洋次郎 ほか
2014年3月16日 後楽園ホール
2014年5月5日 後楽園ホール
2014年6月28日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
石原暉仁(石原夜叉坊) vs. ジョ・ジョンファン ほか
2014年9月27日 後楽園ホール
室伏伸哉(室伏シンヤ) vs. 内藤禎貴(内藤のびた) ほか
2014年10月4日 大田区総合体育館
2015年
【修斗でケージリングが正式採用~ルール改正の変遷】
2015年4月1日に修斗のルールが改正され、クラスAとクラスBに限り肘打ちが認められる事となった。他にも掌と脚の裏に限りリングの遮蔽物に触ってバランスをとる行為が認められ、反対に相手の足を踏みつける行為とキドニーショット(腎臓への攻撃)は禁止となった。
2015年6月21日、『闘裸男 15 ~ディレクション・オブ・ザ・ケージ~』から、修斗で8角形のケージリングが正式採用される事となった。
2015年9月22日、『第22回 全日本アマチュア修斗選手権大会』では2台のケージリングが併設され、プロとアマチュア両方でケージリングの本格使用が始まった。
【修斗階級の改正③ ~ルール改正の変遷】
2015年1月1日に修斗ルールが改正され、各階級の契約体重がアメリカの「MMA統一ルール」に準拠するポンド(lbs)基準に改められた。
改正された各階級の契約体重は以下の通り。()は改正前の契約体重。
スーパーヘビー級 +265lbs / +120.2kg (+110kg)
ヘビー級 -265lbs / -120.2kg (-110kg)
クルーザー級 -205lbs / - 93.0kg (-91kg)
ライトヘビー級 -185lbs / - 83.9kg (-83kg)
ミドル級 -170lbs / - 77.1kg (-76kg)
ウェルター級 -155lbs / - 70.3kg (-70kg)
ライト級 -145lbs / - 65.8kg (-65kg)
フェザー級 -135lbs / - 61.2kg (-60kg)
バンタム級 -125lbs / - 56.7kg (-56kg)
フライ級 -115lbs / - 52.2kg (-52kg)
ストロー級 廃止 (-48kg)
ミニマム級 -105lbs / - 47.6kg (-44kg)
【ビギナー修斗が制定~ルール改正の変遷】
2015年5月1日より、約3年ぶりに「ビギナー修斗(高校生以上)」が採用される事となった。ビギナー修斗は2分×3ラウンドで行われ、アマチュア修斗の未参加者および未勝利者のみが出場できる。アマチュア修斗への前身となる大会として、非公式戦で行われていたクラスDを引き継ぐ事となった。2015年5月24日の『小田原フリーファイト 5』にて初開催。
【2015年の国際大会の遍歴】
2015年4月9日 修斗ブラジル 53
ブラジルで南アメリカ王座決定戦が行われ、初の国際女性王者が認定。
【女子バンタム級(-135lbs)初代王者】 プリシラ・ジ・ソウザ
【2015年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2015年1月25日 後楽園ホール
中村好史(中村ジュニア) vs. 宇野薫 ほか
2015年5月3日 後楽園ホール
『ファイト&モッシュ モブスタイルス15周年記念ツアー ファイナル』*57
三木龍一(神酒龍一) vs. 菅原雅顕 ほか
2015年6月21日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
2015年7月26日 後楽園ホール
内藤禎貴(内藤のびた) vs. 澤田龍人 ほか
2015年9月13日 舞浜アンフィシアター
『VTJ 7th』
菅原雅顕 vs. 清水清隆 ほか
2015年10月3日 沖縄県立武道館
松根良太 vs. カナ・ハイアット ほか
2015年11月9日 後楽園ホール
内藤禎貴(内藤のびた) vs. 伊藤淳二(猿丸ジュンジ) ほか
2016年
【キッズ修斗&ジュニア修斗が制定~ルール改正の変遷】
2016年1月11日、『修斗 ジュニア・ボーダー Act.7』にて、約4年ぶりにキッズ修斗(小学生以下の部)とジュニア修斗(中学生の部)が公式戦として採用され、ジュニア・ボーダー振興会によって大会が開催された。
キッズ修斗は3分×1ラウンド、ジュニア修斗4分×1ラウンドで行われる。昨年に再開したビギナー修斗(高校生以上の部、2分×3ラウンド)と合わせて、幅広い年齢でアマチュア修斗出場~プロ修斗出場に向けた経験を積める修斗システムが再編成された。
【2016年の国際大会の遍歴】
2016年5月22日 修斗香港 -第1回 アマチュア修斗香港 夏季大会-
香港で初の修斗大会が開催された。
代表:翁家偉(Yung Ka Wai、ユン・カワイ/KW yung、ク・ユン、香港修斗代表)
【2016年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2016年1月11日 後楽園ホール
斎藤裕 vs. 中村好史(中村ジュニア) Ⅱ ほか
2016年3月21日 後楽園ホール
竹中大地 vs. 小蒼卓也 ほか
2016年3月27日 沖縄コンベンションセンター 展示棟
ヨアキム・ハンセン vs. 木村統雄(ジャックナイフツネオ) ほか
2016年4月23日 舞浜アンフィシアター
菅原雅顕 vs. 扇久保博正 ほか
2016年6月19日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
竹中大地 vs. アラン・フィルポット ほか
2016年7月17日 後楽園ホール
黒澤亮平 vs. 澤田龍人 Ⅱ ほか
2016年11月12日 後楽園ホール
『プロフェッショナル修斗 Ⅳ 2016 環太平洋ダブル・チャンピオンシップ』
岡田遼 vs. 石橋佳大 ほか
2017年
【修斗階級の改正④、肘打ち全面採用~ルールの変遷】
本年1月1日に修斗ルールが改正され、各階級がアメリカの「MMA統一ルール」に倣った名称に改正された。
改正された各階級の名称は以下の通り。()は改正前の名称。
スーパーヘビー級 +265lbs / +120.2kg (変更なし)
ヘビー級 -265lbs / -120.2kg (変更なし)
ライトヘビー級 -205lbs / - 93.0kg (クルーザー級)
ミドル級 -185lbs / - 83.9kg (ライトヘビー級)
ウェルター級 -170lbs / - 77.1kg (ミドル級)
ライト級 -155lbs / - 70.3kg (ウェルター級)
フェザー級 -145lbs / - 65.8kg (ライト級)
バンタム級 -135lbs / - 61.2kg (フェザー級)
フライ級 -125lbs / - 56.7kg (バンタム級)
ストロー級 -115lbs / - 52.2kg (フライ級)
アトム級 -105lbs / - 47.6kg (ミニマム級)
同時にクラスCでの肘打ちが認められ、プロ修斗すべての試合で肘打ちが正式に採用される事となった。
【ブラジル修斗がスーパー階級を採用~2017年の国際大会の遍歴】
2017年7月、アメリカのMMA統括機関「ボクシング・コミッション協会(The Association of Boxing Commissions、ABC)」が従来のMMA階級に新たに「クルーザー級」と3つの「スーパー階級」を追加する事を発表した。
クルーザー級 -225lbs / - 102.0kg
スーパー・ミドル級 -195lbs / - 88.5kg
スーパー・ウェルター級 -175lbs / - 79.4kg
スーパー・ライト級 -165lbs / - 74.8kg
ブラジル修斗はABCの発表を受けて階級および王座の増設を発表。
2017年10月27日の『修斗ブラジル 77』にて初のスーパー階級の王座決定戦(アレサンドロ・マセド vs. ヘナート・ハンジェル、スーパー・ミドル級)が行われた。
以降もブラジル修斗は独自に階級を増設し続けており、2021年現在までに18階級で王座が認定されている。
【2017年の修斗ファイトパス・アーカイブ】
2017年1月29日 後楽園ホール
斎藤裕 vs. マイク・グランディー ほか
2017年3月24日 後楽園ホール
石橋佳大 vs. 佐藤将光 ほか
2017年4月23日 舞浜アンフィシアター
2017年5月12日 後楽園ホール
高橋遼伍 vs. アーノルド・クエロ ほか
2017年6月25日 大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 第2競技場
山本忠昭(オニボウズ) vs. 石井逸人(覇彌斗) ほか
2017年7月23日 後楽園ホール
川名雄生 vs. 青木宏樹(AB) ほか
2017年10月15日 舞浜アンフィシアター
扇久保博正 vs. 山本忠昭(オニボウズ) ほか
2018年~2021年
【日本修斗協会の今~組織編制の遍歴】
一般社団法人 日本修斗協会
JSA副会長/JMOC理事 横山忠志
JSA理事長/アマチュア修斗委員会 委員長 佐藤留美奈(佐藤ルミナ)
ISC事務局長 小島邦裕
審判部 部長 大内敬
プロモーター会議 議長 北森代紀
2017年11月1日、日本MMAの新たな審判組織「一般社団法人 日本MMA審判機構(Japan MMA Officials Committee、JMOC)」が創立された。修斗はJMOCと連携を図り、講習会等を通じて国内MMAプロモーション間の情報共有やジャッジおよびレフェリーの養成に参加した。
2019年3月21日には、アマチュア修斗地区大会においてJMOCと連携し実地研修を行う事が発表された。
【ワン・チャンピオンシップとの業務提携~修斗 vs. パンクラス対抗戦】
2019年1月25日、修斗はシンガポールに本拠を持つアジア圏MMAプロモーション「ワン・チャンピオンシップ(ONE Championship、ONE)」と業務提携を開始。
修斗とONEが大会運営を協力し合うと共に、修斗王者のONE出場契約および全日本アマチュア修斗選手権の優勝者にシンガポールへの研修等を行う事が発表された。
2019年10月13日、『ONE 101 -センチュリー-』において、と業務提供していた修斗およびパンクラスの「修斗 vs. パンクラス 4対4王者対抗戦」が行われた。
2019年10月13日 ONE 101 -センチュリー-
日本で「修斗vs.パンクラス 4対4王者対抗戦」が行われた。
【ONEストロー級(-135lbs)】 猿田洋祐 def. 北方大地
【ONEバンタム級(-145lbs)】 佐藤将光 def. ハファエル・"モルセゴ"
【ONEウェルター級(-185lbs)】手塚裕之 def. エルナニ・ペルペトゥオ
【ONEライト級(-170lbs)】 久米鷹介 def. 松本光史
【初の修斗女子世界王者が認定~王座決定トーナメントの遍歴】
2019年9月、修斗は初の女子世界王座として「スーパー・アトム級(-50kg/-110lbs)」を新設し、初代世界王座決定トーナメントの開催を発表した。トーナメントには国際選手や同年開催の修斗インフィニティ・リーグ(女子-50kg/-110lbs)優勝者が参加する事となった。2019年~2020年の間に4大会をかけて行われた。
「修斗スーパー・アトム級 初代女子世界王座決定トーナメント」のおおまかな遍歴は以下の通り。
2019年11月24日 プロフェッショナル修斗 30周年記念ツアー 最終戦
日本でスーパー・アトム級初代世界王座決定トーナメント準々決勝が開催。
準々決勝 黒部三奈 def. ターニャ・アンゲラー
準々決勝 イ・イェジ def. 梅原拓未
準々決勝 大島沙緒里 ---- ゼファーナ・ニャーヤ(延期)
2020年1月26日 プロフェッショナル修斗 Ⅰ 2020
日本でスーパー・アトム級初代世界王座決定トーナメント準々決勝が開催。
準々決勝 大島沙緒里 def. 小生由紀*60
5月31日 プロフェッショナル修斗 Ⅲ 2020
日本でスーパー・アトム級初代世界王座決定トーナメント準決勝が開催。
準決勝 黒部三奈 def. 大島沙緒里
8月1日 プロフェッショナル修斗 Ⅴ 2020
日本でスーパー・アトム級初代王座決定トーナメント決勝戦が開催。
【女子スーパー・アトム級(-110lbs)初代世界王者】 黒部三奈
【おわりに】
昭和から令和へと、3つの年号を跨いで歴史を紡いできた修斗は、日本のMMAを最も長く形に残してきました。
日本MMAの祖、"スーパー・タイガー"佐山聡が生み出した「打投極」の理念。
それは、技と技とを文字鎖の如く繋ぎ合わせ、相手の動きを読み最も効果的な選択肢を選び続ける事で、淀みない濁流となり相手を制圧する…「斗いを修める」というMMAの神髄を表したものでした。
その後、グレッグ・ジャクソンが提唱した「ノード(節)」の理論や、師マット・ヒュームを継承しMMA最高峰の「打投極」を体現してみせたデミトリアス・ジョンソン等の多くの関係者によって、最高峰のUFCにおいてもその理念と神髄は証明されて来たと感じます。
2001年4月3日、アメリカで統一ルール制定により「MMA」が誕生するより以前。
1997年10月に放送された「入門SAMURAI道場 シューティング編 -中井祐樹 柔術講座-」において、中井祐樹は「アルティメット(UFC、NHBやVT)の未来は?」という質問に次のように答えています。
まぁ、ずっと前から言ってきたことなんでしょうけど…
「ルールのある競技が残る」ようになるだろうと、思います。
アルティメット(UFC)もぱっと見た感じはシューティング(修斗)と殆どルールが同じになってしまいまして。
消滅しましたけどエクストリーム大会(バトルケード・エクストリーム・ファイティング)はもう最後は、シューティング(修斗)ルールと全く同じでしたし。判定が無いっていうだけで。
だんだん、だんだん、そういう(競技化する)流れになるだろうと思います。
で、まあ、その競技名をなんて呼ぶかにもよるんですけど…
まぁ、VT(ヴァーリ・トゥード)は無くなりはしないと思うんだよ。たぶん。
道場とかで喧嘩してる(グレイシー・チャレンジ等)分には…それは無くならないと思うし。
ブラジリアン(グレイシー柔術等)はそういう所から始めて来たので…。
だから、ブラジルではまず絶対無くなりはしないと思うし。
ただ、「ルールのあるものが残ってって」。
「競技名だけが残る」ような感じになると思います。
その時に「修斗」だとか、「パンクレイション」だとか…後は…ん~。
まぁ「VT」っていうのが競技名になるかどうかは分からないですけど…。
その辺は、纏める人がしっかりしたものを作らないと、いけないだろうと思いますけどね。
僕らはやっぱりアマ修斗、シューティングでいうとアマ修斗のルールを競技にしたいし、していきたいしで。
その方向(アマ修斗ルールの競技化)で僕らは頑張ろうと思ってますけどね。はい。
(入門SAMURAI道場 シューティング編 -中井祐樹 柔術講座- より)
また、「総合格闘技はどうあるべきか?」という問いにも、次のように答えています。
そうですね…どうあるべきでしょうね…。ん~。
「競技であるべきだ」というのは間違いないですね。
結局、シューティング(修斗)も、もう団体の持ち物では無いんで。
本当に競技になりつつあるし、そういう風になっていって初めて(根付いていく)。
でもやっぱりね、柔道とか本当に…まぁボクシングとか…もっと一般的に言うとサッカーとか野球とか、そういう所を目指していかないといけないんで。
そうしないと、いつまでも根付いていかないんで、
そういった方向(競技化の方向)で、持っていくべきだと思います。
その為には…その為にルール(が必要)。
どっちの方が優れているかは分からないですけど、どんなルールがあってもいいと思います。
顔面パンチが無いスタイル、掌底で打つスタイルだとか…そういうルールを、別に「入った人が選択できる」ように(なっていくべき)。
例えば、そこの団体に入っちゃったらそこの試合しかできないっちゅうと、やっぱり…やっぱり可哀想ですよね。地域的な理由とかで出来ない場合もあるんで。
「格闘技は一つ」だという考えはあってもいいと思いますけど。
ただ「競技としては、いっぱいある」っていう。
「僕、10年間寝技やったけど、ちょっと寝技向かないわ…」っていう人は打撃(ルール)だって出来る、っていうような土壌は、やっぱり残しておくべきじゃないかな、という気がします。
格闘技はやっぱり、なんか、「その人のスタイル」なので。
「その人のスタイル」で自由に競技が選べれば、本当に幸せな時代が来るんじゃないかなっていう気がしますね。
今は残念ながらそうはなってないですから…
格闘技みんな、ちょっと、こう、ガチッ、ガチッと固まっちゃっているんで…
そういう(自由に競技が選択できる)「自由化」はもっとした方が良い思います。
そのためには、一個一個の「団体」って言われてるのが、「競技」になるように(していくべき)。
誰でも参加できて…っていうスタイルができるようになれれば、また変わると思いますけどね。
(入門SAMURAI道場 シューティング編 -中井祐樹 柔術講座- より)
MMAという湖が様々な川の流れを受け止め形を変え続ける中で、
修斗という歴史ある川もまた、形を変えながらも長い時を流れ続けて来ました。
修斗には偉大の歴史を大事にしながら、新たな時代を築いていって欲しいと願っています!✨
そして出来る事なら、修斗初期のシューティングの試合も、UFCファイトパスで是非アーカイブ化して欲しいですね~~🙏🏻💦(めっちゃ観たい!!)
*1:会場の後楽園ホールで特設リングを設営する時間が長すぎた為
*2:修斗は公式名称として「エリック・パーソン(Erik Paulson)」表記を採用している。
*3:フランクスがKO勝ちするも、後頭部(脊椎)へのパウンドが反則となった無効試合に改められた。
*4:スペイン語の「レコンキスタ(Reconquista、再び征服する)」をシリーズ名に銘打ち、国際戦の敗戦から「失地回復」する事をテーマとした。
*5:スペイン語のラス・グランデス・ヴィアヘス(Las Grandes Viajes、素晴らしい旅)というシリーズ名が銘打たれ、国際戦を積極的に行う「大航海時代」をテーマとした。
*6:1997年から開催されていたアマチュア修斗大会「浪速フリー・ファイト」の主催者であった桜田直樹が「ガッツマン・プロモーション」を創立。同プロモーションによって初めて開催された修斗大会。後の修斗オフィシャル・プロモーター大会の先駆けとなった大会でもあった。
*7:副題は「ザ・ハイエスト・ノー・ホールズ・バード・ファイツ・イン・ザ・ワールド(the Highest No Holds Barred Fights in the World、世界最高峰の制限なしの闘い)」
*8:「サステイン(Sustain)」とは英語で「支え続ける」というような意味を持つ言葉。
*10:ルナクシス(Renaxis)はルネサンス(Renaissance、復興)とアクシス(Axis、軸)を組み合わせた造語で、国際戦を経て、「新潮流」を生み出す事をテーマとした。
*11:K'zファクトリーにより開催された初めての修斗大会。
*12:現在のマルタイン・デ・ヨンはお父さんの生まれ故郷であるインドネシアでもMMAの普及に努めている。
*13:シリーズ名の「R.E.A.D/リード」とは「リアル(Real、本物)」「エヴォリューション(Evolution、進化)」「アキュート(Acute、先鋭)」「ディアフィケーション(Deification、神格化)」のそれぞれの頭文字を組み合わせたもの。当シリーズにはポルトガル語の「ウム・カミーニョ・パラ・オ・コンピアオン(Um Caminho Para o Campeão、チャンピオンシップへの一本道)」と日本語の「チャンピオンへの道」という副題もつけられた。
*14:フル大会にあたる動画はあるものの、メインイベントのみが収録されている個別動画になってしまっている。「Shooto to the Top 2」と検索すると各試合の個別動画を観ることができる。リンクはメインイベントのマモルvs.リマの個別試合動画。
*15:ワナ(Wanna=Want to~、~したい)の名称は海外からの修斗国際参選手を招集するという意味。
*16:パレストラ東京(現、パラエストラ東京)により開催された修斗の大会。初開催となった『修斗 ギグ・イースト 1』は同年4月28日開催。
*17:メインイベントとコ・メインの二試合が未収録。
*18:ALIVE(アライブ)により開催された初めての修斗大会。
*19:フル大会にあたる動画はあるものの、ミスの為か1分間で終了してしまう。「Shooto Treasure Hunt 7」と検索すると個別試合動画を観ることができる。リンクはメインイベントの五味vs.サントスの個別試合動画。
*20:第1試合で弘中邦佳 vs. ニック・ディアズが行われた。
*22:カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州の3州。主にランクインした選手はカリフォルニア州の出身。
*23:「カラリウス(Karalius)」はリトアニア語で「王」を意味する言葉。「武士道の王(King of Bushido)」という意味。
*24:RSFと修斗が共催した初の修斗イリノイ大会は、2003年10月3日の『RSF -修斗チャレンジ 1-』。
*25:フロタは同大会を主催すると共に、自身も選手として第2試合に出場して勝利した。
*26:当時のヨーロッパ修斗における主要開催国の代表者3名。マルタイン・デ・ヨン(ヨーロッパ/NLD修斗)、マルコ・レイステン(スカンジナビア修斗)、ドナタス・シマナイティス(バルト修斗)の3名。
*27:ISCが主催した修斗ハワイ大会。「ソルジャー(Soljah)」とは修斗のスポンサーを務めた株式会社クリムゾンが主にハワイで展開していたファッションブランド。第7試合でステファン・パーリング vs. ジェンス・パルヴァーが行われた。
*28:コ・メインでヨアキム・ハンセン vs. ジェシアス・”JZ”・カヴァウカンチが行われた。
*29:井上和浩が引退を表明し欠場、イアン・シャファーが不戦勝で準決勝に進出した。
*30:イアン・シャファーがハワイでの試合に出場する為に欠場、石川真が不戦勝で決勝戦に進出した。
*31:スコット・ヘンジーとジョン・レンケンが試合中にリング外へ落下。両者のダメージが深く続行不能となり無効試合となった。後日、ISCルールに則り結果が引き分けに修正。
*32:ダイジェストで収録。
*33:ダイジェストで収録。
*34:ダイジェストで収録。
*35:メインイベント、コ・メイン、第7試合の合計3試合が未収録となっている。
*36:MA日本キックボクシング連盟との共催大会。メインイベントはMA日本キックボクシングの王座戦であった。
*37:アブソリュート・ファイティング・チャンピオンシップはフックンシュート代表のダン・ランバートが2002年から開催した姉妹プロモーション。
*38:オンブレス・デ・オノール(Hombres de Honor)とは、スペインで「紳士」を意味する言葉。」
*40:デビロック(Devilock)は1996年11月11日に創立されたファッションブランドで、修斗のスポンサーを務めた。デビロックは1999年1月15日の『プロフェッショナル修斗 ザ・ルナクシス Ⅰ』の副題にもなっている。
*41:第5試合でクレイ・グイダ vs. 遠藤雄介が行われた。
*42:2021年7月現在。
*43:「 龍争虎闘(りゅうそうことう)」とはブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」の香港の題名。
*44:ピーター・アンゲラー・レンシは士道館空手ドイツ支部の師範代で、「大和魂」のニックネームを持つ。
*45:ギリシャ修斗の正式名称。ヘラス(Hellas)とは古代ギリシアにおいてギリシア人が自らの地を称した地名。
*46:ギリシャ系オーストラリア人でAUS修斗代表のラリー・パパドポロス(ギリシャ名:ラザロス・パパドポロス)が、門下生であったリキャルドポロスとツェレンティスの顧問となって修斗ヘラス設立のために尽力した。
*47:東北地方太平洋沖地震への支援チャリティ大会として開催された。サプライズ企画として勝村周一朗 vs. 佐藤ルミナの柔術ルールでの試合や、マモル vs. 土屋大喜の王者同士によるエキシビションが行われた。
*48:ダイジェストで収録。
*49:東北地方太平洋沖地震への支援チャリティ大会として開催された。
*50:東北地方太平洋沖地震への支援チャリティ大会として開催された。
*51:東北地方太平洋沖地震への支援チャリティ大会として開催された。
*52:東北地方太平洋沖地震への支援チャリティ大会として開催された。
*53:本年に修斗インフィニティ・シリーズが初めて開催された。当初はトーナメント制であり、本大会で2階級の決勝戦が行われた。
*54:「B.O.P.E(ボーピ)」とは「バタリャオン・デ・オペラソイス・ポリシアイス・イスペシアイス(Batalhão de Operações Policiais Especiais、特殊警察作戦大隊)」の略称で、リオデジャネイロ州の軍警察特殊部隊の事を指す。同シリーズはB.O.P.E.基地内にて開催された。
*55:メインイベントでは修斗史上初となる5分×5ラウンド制のチャンピオンシップが行われた。
*56:ダイジェストで収録。
*57:モブスタイルス(Mobstyles)は2000年に創立されたファッションブランド。修斗のスポンサーを務めた。本大会は3月7日に始まった「モブスタイルス15周年記念ツアー」の最終回として行われた。
*58:沖縄で開催されたプロレスリング、キックボクシング、MMAの三競技を併設された三つのステージ(リング2つ+ケージ1つ)で行った大会。MMAステージで修斗の試合が行われた。
*59:メインイベントでは修斗史上初となるケージ&5分5ラウンド制の統一ルールによるチャンピオンシップが行われた。
*60:ゼファーナ・ニャーヤ(Zephania Ngaya)が欠場となり、小出が準々決勝に出場。
*61:2019年のインフィニティ・リーグ優勝者である杉本恵がシード枠で準決勝に出場。
*62:イ・イェジが欠場となり、中村が代役として準決勝に出場。