クロネコMMA図書館🐾

ミックスドマーシャルアーツ(MMA)という格闘スポーツについて、コラムや試合レビューを書いています。

「ブラジリアン・ムエタイ」のルーツを辿る。世界のMMAを震撼させる「カナリア色の強打」は、如何にして生まれたのか。

ブラジルのMMAにおいて、ムエタイ柔術と並んで多くの選手のルーツです。

シュートボクセ・アカデミー」「キングスMMAの二大金字塔はもちろんのこと、ATT式カーフキックのルーツでもある等、ブラジルを超えて世界中のMMAに大きな影響を及ぼしています。

 

「ブラジリアン・ムエタイには、ムエタイの祖国タイとは異なる要素が多く見られます。

本国のムエタイには無い、鮮やかな軌道を描く蹴り技の数々は「ブラジリアン・ムエタイ」の真骨頂といえます。

ムエタイを名乗りつつも道着を着用しますし、昇段は帯の色によって行われていることも本国ムエタイにはない特徴であると感じますね~。

 

ムエタイの強さを持ちながら、MMAに最適化された攻撃方法を有する「ブラジリアン・ムエタイ」…

そのルーツについて、ざっくりとした紹介ですノシ✨

 

「ブラジリアン・ムエタイの父」は、ネリオ・ナジャさんであると云われています。

シュートボクセの創設者であるフジマール・フェドリゴは、ナジャにムエタイを師事しました。

「キングスMMAの創設者であるハファエウ・コルデイロも、フェドリゴに師事していたる為、ナジャは二つの名門MMAチームのルーツにあたる人物とも言えます。


ネリオ・ナジャさんが65歳の時、GLOBOにて特集が放送されています。

 

ネリオ・"ナジャ"・ボルジス・ジ・ソウザは、1976年に移住したブラジルのクリチバにてムエタイを「輸入」しました。

ナジャの住んだクリチバでは、気候の寒さもあり本国のムエタイをそのまま採り入れることは困難であったと云います。

故に、ナジャは自分のもう一つのルーツである武術をムエタイに組み込みました。

その武術とは、テコンドーです。

 

ナジャの生まれはリオデジャネイロであり、1970年代初期にリオのテコンドー道場で鍛錬を積みました。

1976年に黒帯を与えられたテコンドーは、ナジャの最初の武術ルーツです。

師のいるリオを離れ、クリチバでテコンドー道場を拓くことを考えていたナジャは、そこでムエタイとの出会いを果たしたと云われています。

 

つまり、「ブラジリアン・ムエタイ」とは、「ムエタイテコンドー」ふたつのアジア武術の混合格闘術」である、と考えられます。

本国ムエタイは無いホイールキック(後ろ廻し蹴り)クレーンキック(二段式前蹴り)等の技には、テコンドーの系譜を感じることができますね~。

「ブラジリアン・ムエタイ」が帯の色で段位を表すことや、道着を着用することも、テコンドー由来のシステムをムエタイに組み込んだと考えると腑に落ちます。

 

とはいえ、テコンドーのみならずボクシングや空手、更にはグレコローマンレスリングの影響も少なからずあるとも感じます。

「ブラジリアン・ムエタイ」に感じられる強固なディフェンスワーク、そして対照的に爆発力のある打撃のコンビネーション…これら大きな特徴には、ルーツだけではない複雑な諸要素を感じます。

始祖であるナジャの「ムエタイ×テコンドー」を色濃く残しながらも、ブラジリアン・ムエタイMMAで進化を続けていると感じますね~!

 

ナジャがムエタイとどこで出会ったのかは諸説があり、従軍中に遠征したタイで現地のムエタイを師事したという説があれば、ブラジルのタイ大使館の中でムエタイを師事したという説もみられます。

ナジャがクリチバにて芽吹かせた「ブラジリアン・ムエタイは、1900年代にはまだムエタイ(キックボクシング)のプロ大会への繋がりが殆ど持てなかった故に、MMAという新しいスポーツでその真価を証明していくことになります。

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圧倒的で鮮やかなカナリア色の強打」「ブラジリアン・ムエタイは、MMAで花開いたのでした!